◇MUDDY WALKERS
聖書を読もう! ルカによる福音書4章 →全文
「イエス、悪魔の試みを受ける」(4章1節〜13節)
少し、前回のルカ3章を思い出してから、お話を始めましょう。イエスは、バプテスマのヨハネから、ヨルダン川で洗礼を受けました。するとそのとき「聖霊」がはとのような姿でイエスの上に下り、天からの声がした、とありましたね。そののち、イエスは30歳で宣教活動をスタートします。それまでは何をしていたかというと、父ヨセフの跡を継いで、大工をしていました。
ユダヤ人は、13歳で成人を迎えます。それまで、男の子はラビ(ユダヤ教の教師)から聖書について学びますが、成人になる1年前からは、父親から職業訓練を受けて自立の道を歩むことになります。一方で、勉学に優れた者は職業訓練の傍ら何年もラビについて律法(トーラー)を学び、宗教エリートである律法学者を目指しました。そして、手に職をつけて働きながら、ラビとして人々を指導する立場になっていったのです。
イエスの少年時代の記述はわずかしかありませんが、2章では、エルサレムの神殿で大人にまじって教えを受け、人々は「イエスの賢さやその答えに驚嘆していた」(ルカ2:47)様子が描かれていましたね。その後、イエスは大工をしつつ、「ごく普通の人生」を歩んでいました。3章で聖霊が下り、天の声がしたことで、イエスは「使命」に生きるときが来たことを悟った、ということになるでしょうか。
そんなイエスですが、「聖霊に満ちて」ヨルダン川から帰って次に、40日間、断食して荒野を彷徨することになります。
「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を40日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。」(ルカ4:1〜2)
悪魔の試みって、一体何でしょうか。悪魔が存在するのかどうかは別にしても、私たちは日々「悪魔のささやき」に抗したり、屈したりしているということはありますね。それは「もっと食べたい、あれが欲しい、これが欲しい、ぜいたくな生活がしたい」という単純なものから、「あの人がどうにかなれば、私はもっと良いポジションにつけるのに」といった不正を誘う思い、また周囲の人や自分に関わる人を思い通りにコントロールしたい、といった支配欲まで、実に多種多彩なものがあります。そう思うと、「悪魔の試み」というのは別に、特別な人だけが経験する特別な出来事ではないですね。これまで普通の人生を歩んできたイエスが、神の使命に生きようと決意したとき、最初にしたのは「普通の人の受ける試練を、自分も受ける」ということでした。
40日間、荒野で悪魔の試みにあったイエス。その間何も食べなかったので、当然空腹になってきます。そこで悪魔は言いました。
「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。
(ルカ4:3)
その一つは「空腹」。いわば「肉欲」ですね。悪魔のささやきは巧妙です。空腹を満たせるでしょう、あなたが神の子だというのなら、とイエスを試しているのです。空腹を満たしたいというのはある意味健全な欲ですが、悪魔はそれを、イエスが自分で自分が神の子であることを証明する機会にしようとしたのです。しかし、イエスはそのそそのかしをこのように言って退けられました。
「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。(ルカ4:4)
「人はパンのみで生きるにあらず」って、とても有名な言葉ですよね。そう、ここが出所です。実はイエス、超人的な力を発揮しているのではなく書いてある言葉を引用しているだけ。それはどこに書いてあるかというと、旧約聖書の「申命記」8章3節です。
「人はパンだけでは生きず、人は主の口から出るすべてのことばによって生きることをあなたの知らせるためであった。」(申命記8:3)
「人はパンだけで生きるのではない」なら他に何? という答えが書いてありますね。「主の口から出るすべてのことば」によって生きる、とあります。それを書きしるしたものが、私たちが読んでいる聖書なんですね。イエスもその聖書のことばを引用することで、悪魔に立ち向かいました。
二つ目の誘惑は「権威と栄華」でした。国々の権威と栄華を見せて、「わたしにひざまずくならこれをあなたにあげましょう」と悪魔は言っています。これは、「目から入って来る」誘惑ですね。人のものを見て、それを欲するあまりにひざまずく。まさに「偶像礼拝」です。イエスは、同じく「申命記」6章13節の言葉を引用して、悪魔に対抗しています。
▼悪魔の誘惑。「これらの国々の権威と栄華をみんな、あなたにあげましょう。
それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。」(ルカ4:6)
三つ目の誘惑は「神の子なら、飛び降りてみろ」というものでした。これに対してもイエスは、「申命記」6章16節の言葉を引用し「主なるあなたの神を試みてはならない」と言って悪魔の誘惑を退けます。
私たちも、日々さまざまな誘惑を受けますが、問題なのは、誘惑にあうことではなく、誘惑に抵抗する力がないこと、そのために罪を犯してしまうことですです。イエスはここで、どうすれば誘惑に陥ることなく自分を守ることができるのか、を私たちに身をもって教えてくれています。
と同時に、これは悪魔がイエスを、(1)ユダヤ人の代表として(2)人類全体の代表として(3)神の子として、試した、ということでもあります。イエスはこの試みをくじき、悪魔はイエスを離れていきました。
(つづく)
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