頬を赤らめたアルマの顔を覗きながら、チェーンはチョコレートシェイクを一口啜った。
〇〇九九年
オルドリン大学 アデュー・キャンパス
〇〇九九年一月一日、月のグラナダでジオン・ソロモン・サイド6フォルティナほか八〇カ国間で批准された太陽系連合条約の締結後、オルドリンに戻ったソロモン首相リーデルは七日、同地に駐留する連邦第五艦隊司令官、トーマス・ユージン・ジャクソン大将を官邸に招いた。この会見で大将は二三の意見を首相に述べたが、両者の合意で会見の内容は残されていない。一〇日、共和国は条約の二〇条B項に基づく安全保障条約の破棄を連邦政府に通告し、ここに〇一〇三年六月を期限とした第五艦隊のルウムからの撤退が既定の方針となった。』
文学博士エゼルハート・カーター著「ジオン公国の興亡」 〇一二〇年、オックスフォード大学出版局、二〇二頁
「ジャクソン大将が条約破棄に賛成だったとは驚きでしたね。」
チャタム地区の私邸でのインタビューの後、資料をまとめたカーターは同行していたオルドリン大学のボニファチェリ教授に言った。そもそも首相が連邦大使や国務長官より先に現地の司令官を招いて条約破棄について意見を求めることも異例だ。
「文民統制の原則があるが、リーデル首相にとっては連邦大使や大統領よりもジャクソン司令官の方が信頼できる人物に写ったのだろう。」
リーデル政権の武断的性格と日頃彼が言っていることについて、ボニファチェリが彼に言った。教授は共和国の政策に特に批判的ということはないが、リーデルについては他の政治家と比べても軍に近すぎると感じている。首相官邸は国防省のごく近くで、首相がマシュマーやハウスなど国防省の軍人を呼び、個人的に諮問する例もザラだ。
「彼が軍と近いことで、他の政治家、特に野党の議員に懸念があることは本当だ。軍の暴力装置を使い、対立者や民衆を弾圧するのではとね。」
「特に彼が軍人好きということはないと思いますがね。」
国防省での経験を踏まえ、カーターが首相についてコメントした。
「マシュマー部長らについては、軍事的知識を頼っている感じはありますが、政治的な影響力はないと思います。」
そう言い、彼は先のガイアの戦いでゲリラに手を焼いた連邦政府がソロモンにフロンティアへの出兵を求めた際、首相に淡々と軍事的意見を述べた作戦部長の話をした。
「マシュマー提督は首相に、派兵すれば軍はゲリラと一緒に無辜の住民数百名を殺害し、一ダースの村落を炎上させることになりますが、よろしいですかと言っていました。」
「イタリア貴族とは思えない非人道性だな。」
カーターの言葉に教授は唸った。
「議会で審議されていたのは平和維持活動だったはずだ。」
「彼はそれは政治的詭弁で、軍事的にありえないと言っていましたね。」
歯に衣着せないが、非道すぎる作戦部長の言葉におぞけた首相は連邦政府の要請を正式に拒絶し、ソロモンのフロンティア派兵計画はこれで沙汰止みになった。
「海兵隊の施設では市街戦で市民を巻き込まないように訓練していますが、私はこれはテレビ向けのショーだと思っています。」
「認めたくはないが、たぶんエゼルハート、君の意見が正しいのだろうな。」
政府がフロンティア派兵を拒絶したことは正解であったと言い、ボニファチェリは曇った顔をした。
「首相がジャクソン大将に会見したことも、軍事的意見を求めてのことでしょうか?」
彼の言葉に教授は顎に手を遣ってしばらく考え込んだ。
「いや、違う。彼は政治的意見を求めていた。」
〇〇九九年七月
月 フォン・ブラウン市
太陽系連合軍事委員会オフィス
オフィスの入口で銃を衛兵に手渡したマシュマーはそのまま軍事委員会オフィスに入室しようとした。その時に木星以来の彼の愛銃である自動拳銃を手に取った衛兵が感心した顔をする。
「いい銃ですね。ザウエルP520、旧同盟軍の制式拳銃だ。」
今の共和国軍はカール社の拳銃を採用している。実包は同じだが、ザウエル製より廉価で量産性も高いという理由だ。スライドの磨耗具合から適度に射撃され、良く手入れされていると衛兵はマシュマーの銃を褒めた。
「他の委員の方の銃もお預かりしていますが、手入れの悪い物が多くて、スライドが錆び付いていたり、マガジンが固着した銃がかなりあります。皆さん階級は高いせいか、装飾だけはこの銃よりしてあるものが多いですがね。」
司令官クラスの将校が汎用拳銃を携帯している例は珍しいと衛兵はマシュマーに言った。マシュマーの銃は焼鉄色の地肌にプラスチックの銃把で、その手の飾りは一切ない。彼は衛兵の背後にある黄金色や唐草模様の装飾が施された他の委員の拳銃に目を遣った。
「司令官が拳銃を撃つようになったら終わりだ。ずいぶん詳しいが、ガン・マニアか?」
アナンケから来たという衛兵は頷くと、彼に入室を許可すると言った。多国籍施設であるフォン・ブラウンの軍事委員会の施設はアナンケ共和国が警備を担当している。入口を抜け、多数のパネルが立ち並ぶオフィスに足を踏み入れた彼はサイド7近郊の宙域を投影しているメインパネルに目を遣った。端末を操作していたエズラ大佐が立ち上がって敬礼するとマシュマーに挨拶した。
「連合艦隊はサイド7近郊に進出しております。今の所、作戦は順調かと。」
「だが、正念場はこれからだ。」
すでに艦隊はティターンズの絶対防衛圏に侵入している。連合の計画はグリプスにも通知されており、大多数の要員はグリプス2から避難しているはずだが、一部の要員が残っているという情報もある。
「ティターンズの一部にレーザー破壊に反発する分子がいるようです。バスク大佐が説得しているという話ですが、、」
「だが、作戦は予定通り行う。」
すでに十分な時間を与えたはずだ。肩をすくめるエズラに彼は言い切った。
(作者メモ)
第三部の終結から第四部「グリプス事件」までの話。この辺りの話は第四部では冒頭の二話(正確には一話半)で済まされ、三話目からはもう大戦争なのですが、実は作戦部長マシュマーのキャリア(〇〇九三年〜〇一〇一年)の半分近い長さがあり、本編のような活躍がむしろ例外という感じです。この辺りの下りはもう少し話を増やそうかとも考えていますが、全体のテンポもありますので、第三部の延長のような話は資料集のように別に考えた方が良いかもしれません。
マシュマーの大きな転機はまず第一部の木星艦隊司令から作戦課長への転属ですが、それに次ぐ大きな変化がこの第三部から四部に掛けての連合軍事委員就任です。それまでのサイド5防衛から立場がより広がり、より国際的な立場に身を置くようになったことで、作風にも変化が生じています。
(おわり)