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機動戦士Zガンダム第46話「シロッコ立つ」鈴木裕美子

あらすじ
 ゼダン要塞をやられたティターンズはなぜかハマーンと手を組もうと画策する。。

Aパート:グワダンに向かうシロッコ、三者会談
Bパート: ジャミトフ暗殺、サラ死す

論理の積み重ねに耐えない世界観
 冒頭からシロッコを巡る痴話ゲンカと椅子に縛り付けられてバイオリンを聴かされるシャアの図、新手の拷問かと思いつつアーガマを抜け出したカツが単身シロッコ殺害に戦艦グワダンに乗り込む話になる。で、ジャミトフとシロッコとハマーンの三者会談だが、この手の話がこの制作者が一番苦手としていることはお見通しである。まあ10秒で決裂だろうなと思いつつ、何言っているか分からない会談はシャアの乱入で実質20秒くらいで決裂。この説明は後にしよう。どさくさ紛れにジャミトフが殺害され、なしくずしに戦闘が始まり、シロッコとハマーンの超能力合戦が始まる(一言で言えばガンの飛ばし合い)。その間にカツに撃たれてサラが死亡する。とまあこんな感じのお話である。
 どうしていつもこの作品は何か大上段に構えて状況を説明しようという段になるとシャアが踏み込んだりどこかからビームが飛んできたりビルが倒れたりで落ち着いて話ができないのだろうとラスト近くまで見てつくづく思うのだが、まず指摘できるのは世界観が詰められていないということ。
 これはある意味、作品を作る上で一番悩むことで、何が困るかというと、これは作品世界で起こる諸々の出来事に自分なりの解を出さなければいけないのである。出来事というのは大概絡み合っているので、ここを押したら次はここ、あそことある種パズルと言うか積木くずしみたいな所がある。そしてゼータみたいな作品、「ニュータイプ>人間」という荒っぽいテーゼを作品の主題に置いてしまった場合、根が単純であるだけに論理の積み重ねに耐えられないのである。筆者でも自分の作品を進める際には「未知の領域」というものがあり、そこでの判断は実は相当悩む。ついやりすぎる傾向があるからだ。筆者はやりすぎの手前、少し物足りないで止めることにしている。

カオルのひとこと:ゼダンの門から逃亡したジャミトフと、その場にいなかったシロッコを招いてハマーンはグワダンで三者会談を開くことに。これを聞きつけたカツは、サラをシロッコの支配から解放してやろうとシロッコ暗殺を決意。単身グワダンに乗り込んでいきます。ジャミトフとシロッコは同じティターンズの身内、なのになぜハマーンと三者で会談? まるで不良学生が親と一緒に学校に呼び出されるみたいです。シロッコはレコアとサラを護衛につけてのご登場。

 その辺、割とお気楽だと思えるのが例えばこの作品をネタに二次創作とか漫画とかを書く人たちで、こういう人達はそういう世界観の根幹に関わる部分には「触れないで済ませる」とするので楽である。福井のガンダムUCもそんな作品である。あそこにはかなり歪んだ人類社会が描かれているが、そういうのも「元がそうだから」でごまかすことができるのである。そして、そういうのは例外なくつまらなく面白くない。
 現実の世界というのは、例えば悪い大臣を殺せばとか、代わりに宇宙人をといった単純なものではない。実際、人類の歴史の中でも単純に絶対悪として否定できたのはナチスと大日本帝国くらいのものである。それも後者は悪というには余りにも女々しく、分かりにくく、そして水っぽい(絶対悪のナチスと手を組んだという時点でこの帝国を弁護する余地などない)。お隣の北朝鮮に対してさえ、ステロタイプの独裁者の心情心理には近目で見ればかなりの揺れを観察できたのである(外交が必要な理由だ)。そしてファーストというのはその現実世界の複雑さをアニメで主張した最初の作品であった。
 その作品を継承したのがゼータというのが一応富野の言い分なのだが、実際の作品はそんな感じではなく、そこらの酒場のあんちゃん姉ちゃんの政治談議程度のレベルの話で作品世界の森羅万象を説明しようとしたために、制作者が自縄自縛に陥ったというのがどうも本当の所で、テレビで悪い奴を見て「みんな吊るしてしまえ」なんて感性で政治をやられたら一般民衆はたまらないし、アニメだって50話持たないのである。

カオルのひとこと:都合良くグワダンに居合わせたクワトロは会談の場に乗り込みジャミトフとシロッコを暗殺しようとします。グワダンの格納庫で待機していたサラはシロッコ様のピンチで発砲。会談の場はレーザーに焼かれて吹き飛ばされ(しかし誰も死なない)、混乱に乗じてシロッコがジャミトフを暗殺。グワダンを脱出したシロッコはハマーンと、メラメラと妙なオーラを燃やしながらのニュータイプ対決を始めます。「悪いヤツはどんな手を使ってでも殺せ、そうすれば世の中は良くなるはず」というのがこのお話し。で、ジャミトフを都合良く殺してくれたおかげで、正義の味方エウーゴは、一番ワルのシロッコを殺すだけで良くなりました。

視聴者を超える知性、感性があるのか
 この作品を見るのは10歳の子供である。そしてその保護者たちである。子供にオモチャを買わせたいという動機で作品作りをすることを作品それ自体の純粋性より優先することを筆者は悪いとは思っていない。自虐的で耽美的な直木賞作家の自己満足作品みたいなものを筆者は少しも読みたいと買いたいとも思わないことがある。不倫とか中絶とか堕胎とかタコ部屋労働とかを賞を取るために纏める作家より、目的はプラモ販促でここに見せ場作ろう、ここで合体やろうというアニメ制作者やラノベ作家の知的活動の方が程度低いとは筆者は思っていない。実はこちらの方が難しいのではと思うことさえある。直木賞なんかは石原慎太郎や審査員の自己満足に付き合えば良いだけだからだ。それもそんな程度高くない、せいぜいが不快な自制力鍛錬でしかない、そんなものだ。
 で、話をまとめると、まじめに作品作る気あったら、10歳の子供やその保護者並みの頭で作品を作ってはいけないのである。それがサザエさんやドラえもん、ちびまる子ちゃんであろうが、制作者は常に平均的な視聴者を超える知性、感性で考えなければならない。それが筆者がこの作品の制作者に言いたいことである。
(レビュー:小林昭人)

カオルのひとこと:メラメラとオーラを発してにらみ合うハマーンとシロッコ、そこに割って入るのが哀れなカツです。シロッコさえ殺せばボクはサラを手に入れられる、そういう発想がなんだかストーカー的でコワイのですが、シロッコ撃墜はサラに邪魔され、逆にサラの方が撃たれて死んでしまうという最悪のパターン。思いを寄せる敵の女性を敵パイロットと取り合った挙げ句に死なせてしまう、という伝統の筋ですね。こういう鬱話を「これがガンダムなんだ」と定義づけてしまったZガンダム、でも、ファーストガンダムにはそうなる必然性が感じられましたが、Zは背景や全体の流れがなく、ただ敵の男女が戦場で出会って殺し合い、「こんなことになったのはアイツが悪い」で最終対決になだれ込む、それだけのお話しになってしまっています。なぜ、その程度の作品が今までこれだけ持ち上げられてきたのか? いい加減に、目を覚まさなければいけませんね。

評点
 サラの発砲場面はホント嫌になる。(小林)
 ハマーンとシロッコのオーラ対決に笑いがこみあげる。どこがリアルやねん。(飛田)


関連レビュー「ZZ第46話 バイブレーション」脚本:遠藤明吾

あらすじ
 ハマーン対グレミーの最終対決、宙域に渦巻く心霊現象に多くのキャラが倒れていく。

Aパート:リィナ生存、セイラ再登場
Bパート:グレミーやられる、コロニー崩壊

コメント
 マシュマーが死んでしゃあない付き合うかという感じで観ているが、いちばん訳がわからないのはネオジオンが内紛している間、敵味方の双方を飛び回り強化人間たちにアドバイスして歩くガンダムチームの面々だろう。ついでにリィナを助けたセイラが登場する。ちなみにゼータ以降でセイラが喋るのはこれが最初で最後である。この時すでに「逆襲のシャア」の企画は進んでいたのか、「いっそ死んでくれれば」とセイラの非情な一言が行方不明のシャアに炸裂する。で、内戦のダラダラした続き、実はこの回だけ登場のフルアーマーZZ登場、グレミーはアクシズ要塞を切り離してハマーンの艦隊にぶつける。プルツーは死んだエルピー・プルの亡霊に金縛りに遭っている。その間にラカン戦死、まあ、最終話はキャラの在庫一掃セールだから。
 実はこの辺の話、筆者も自分の作品の第二部で使っている。同じくジオン軍同士の内紛の話なのだが、いきなり艦隊戦を展開してコロニーをぶつけ合うという救いのない展開には辟易していたので、筆者はここでは最後まで「撃たない」ことに拘って話を進めている。
 戦闘はアクシズ要塞の内部に進み、ここでグレミーが戦死する。で、毎度おなじみの敵味方キャラのご対面、「人類全体がやり直さなきゃいけないんだ」というジュドーの大演説がプルツーを動揺させ、グレミーはルー・ルカのビームライフルの露と消える。プルツーはZZから転落して重症、何か無理矢理だなあ。で、話はコア3とアクシズが衝突して双方崩壊し、ハマーンとグレミーの直接対決にもつれ込む。
 ああ、あと忘れていたが、実はこの回でゼータ以降100話頑張ってきたリックディアスより強い(機銃も跳ね返す)「ガンダムマークII」と、これも75話頑張ってきた「Zガンダム」がアクシズ要塞と一緒に撃破される。どちらも型落ちでもう見飽きたが、特にマークIIはこれが正真正銘の最後になったのだった。
(レビュー:小林昭人)

評点
★★ ひたすら救いのない話で見ていてゲンナリ。


関連レビュー「ガンダムAGE第 46話 「宇宙要塞ラ・グラミス」
      脚本:加藤陽一

あらすじ
 地球連邦軍は、宇宙要塞ラ・グラミスへの総攻撃を開始する。ヴェイガンはセカンドムーンを地球圏に移動させ、ラ・グラミスと合体させる。フリットはヴェイガンの殲滅を目標に掲げるが、納得できないキオは、ガンダムの新兵器、FXバーストモードの使用を拒否。両軍の戦いは、ラ・グラミスが要塞砲を使用したことにより連邦軍が大打撃を受け、その容赦ない戦いぶりにキオはショックを受ける。しかし自分の方法で戦うことにこだわり、ゼハートとの戦いでピンチに陥る。

Aパート:ラ・グラミスとの戦闘開始、FXバーストモード紹介
Bパート:要塞砲発射、キオのFXバーストモード使用拒否

コメント
 タイトルに「宇宙要塞ラ・グラミス」と名づけるからには、このトリガラのような、正月のまゆ玉飾りのような奇妙な形状の要塞がいつどのような目的で建造され、どんな機能があるのかなど、説明セリフでいいから聞きたいものだ。それが、こうした番組の定石というものだが、そういうサービス精神が、スタッフにはまったく欠けている。詳しく知りたいならウィキペディアを読め、ということなのか。そんなことでは、視聴者はついて来れないし、作品世界に入り込むことも出来ないだろう。
 そのかわり、大仰なだけで中身のない両軍司令官の演説、戦いの前の男女の気を持たせるような会話、例によって自分の戦いにこだわるキオの葛藤、などに時間が割かれる。作戦計画書なるものがあることは、艦長ナトーラの台詞からわかるが、その中身については説明もない。しかし戦闘シーンの描写をみれば、そもそもスタッフがその作戦がどんなものか想定もせず、適当に書いていることがひしひしと伝わってくる。こういうゴマカシが、この作品には多すぎる。
 戦闘前に戦艦内の通路で、モビルスーツ隊隊長のセリック・アビスとナトーラ艦長の、たいして意味のない長々とした会話が展開される。実は隊長は艦長に好意を持っているのでは、と思わせるような場面だが、とってつけたような感が否めない。こういうのは、それぞれの人物描写をしっかりやってこそ生きてくるもので、それがなければただの会話だ。ここまでの話で、セリックやナトーラに何らかの思い入れを持つようなエピソードは皆無であった。今更2人がどうなろうが、どうでもいいキャラクターでしかない。

評点
★★  決戦の火ぶたが切られたというのに、びっくりするほどのテンションの低さ。


その他のZレビュー
「機動戦士Zガンダム回顧録」 Z第46話レビュー
「パラレルユニヴァース」 Z第46話レビュー


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