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An another tale of Z

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 地球連邦からの独立を宣言して戦端を開いたジオン公国。図らずもその戦火に巻き込まれ、船に乗って一年戦争を戦うことになった少年少女の群像を描いた「機動戦士ガンダム」はロボットアニメの古典ともいうべき作品です。
 小林昭人さんの作品「An another tale of Z」は一年戦争後の世界を舞台に、宇宙世紀世界の全容とスペースコロニー国家の興亡、そして太陽系の覇権をめぐる戦いを壮大なスケールで描いて、「もう一つの続編」の可能性を追求したオリジナルSF小説です。

ファーストガンダムは、続編のために何を残したか?

(1)大ヒットしてはじめて生まれる「続編」

 今では続編やシリーズ化、スピンオフ企画は当たり前になっていますが、私が子供の頃はそうではありませんでした。エンドロールを迎えたら、もうそれっき りそのキャラクターに会う事も、続きを楽しむこともできないのが普通でした。
「スターウォーズ」の続編として「帝国の逆襲」が公開さ れると知った時は、だからとても興奮したものです。ここから今の旧三部作、そして新三部作へと続くシリーズが始まるのですが、最初からそうと決まっ ていたわけではありません。続編とは、大ヒットがあって初めて生まれるものです。
 とはいえ、「スターウォーズ」が大ヒットした時には、「実はこれは全部で9部まであるらしい」という噂も流れていたように思います。ジョージ・ルーカスの中には、すでに構想が出来上がっていたのでしょう。しかし多くの「続編」「シリーズもの」は必ずしもそうではなく、大ヒットがあってはじめて、 続編の企画が持ち上がります。そしてそれは失敗することもままあります。中にはシリーズとして徐々に破綻していくものも見られます。

(2)「ファーストガンダム」続編は高い自由度を秘めていた

 たとえストーリーが完結していたとしても、「もう一度あのメカ、あのキャラクター、あのチームの活躍が見たい」という期待があるならば、続編を作 ることは決して難しいことではありません。しかし、物語によっては、単純に前作のキャラクターやメカをそのままに、続きを作ることが困難な場合がありま す。今やシリーズ物として確立している「ガンダム」は、後者の部類に属する作品でした。
それはなぜか。シリーズ作品の先駆となった「宇宙戦艦ヤマト」との比較でみてると、「ヤマト」の場合は沖田艦長は死亡しますが、ヤマトは地球に帰還、主人 公とチームも健在でした。これに対して「ガンダム」の場合、最終回で主役メカのガンダム破壊、ホワイトベース撃沈。主人公らは健在ですが、もともと一時的 に結成されたチームであるため「そのまま」の設定で続きを考えるわけにはいかない終わり方になっていました。新たな敵を設定することで「次」ができる「宇宙戦艦ヤマト」に比べて、続編の制作やシリーズ化はハードルが高いといえます。しかし逆に考えれば、その分自由度も高かったのです。世界観を引き継ぐこと で、新しい主人公やメカを設定することができるはずでした。

(3)放映された続編「機動戦士Zガンダム」への失望

  しかし、ガンダムの続編「機動戦士Zガンダム」は、そのような続編の可能性の芽をむしろ摘み取るものとなっていました。私自身は「Zガンダム」はリアルタ イムでは観ておらず、初めて視聴したのは2000年代に入ってからでしたが、そのとき少なからずショックを受けたものです。素人の少年が巻き込まれた形で ガンダムに乗って戦争を戦う羽目になるというそのストーリーは、前作と酷似していました。シリーズ化とは、パターン化のことだったのでしょうか? 確か に、設定を変えて同じパターンの話を繰り返すというシリーズ作品もあります。ウルトラマンや仮面ライダー、○○レンジャーといった特撮物の世界です。これ らは視聴者である幼児が成長すると「卒業」していくものなので、シリーズの連続性はそもそもあまり重視されていません。
「ガンダム」の場合は、そうではなかったにもかかわらず、ガンダムの名を冠した主役機に乗る機会を得た少年が悪の組織との戦いを通して成長していくというストーリーが繰り返されるという、固有の枠にはめられたシリーズとして確立してしまったのです。

 では、当時10代で、「ファーストガンダム」の先に続編の可能性を見ていた私たちは、一体どんな作品を望んでいたのでしょうか。そんなもう一つの「Z」 を小説という形で提示したのが、小林昭人さんが2005年にウェブ上で発表した「An another tale of Z」です。

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