◇MUDDY WALKERS
ガンダム精神世界探索
ララァの悲しい結末は、その後のシャアの恋愛遍歴にも大きな影響を与えることとなりました。シャアは、人生最初の「本気の愛」の舞台でとんでもない屈辱を味わうこととなったのです。同じ失敗を二度と繰り返さないために、彼ができることは何でしょうか。「もう、誰も愛さない」。これではなかったでしょうか。ララァ以降のシャアの女性遍歴に、それが端的に表れています。
ララァ以降にシャアが関係を持った女性として、まず名前が挙げられるのはハマーン・カーンです。ただ、原作では「過去の話」として物語られるだけで、2人が実際にどこでどのように出会い、どのくらい深い付き合いをしていたのかはよく分からないのが実状です。
ハマーン・カーンはジオン公国の高官だったマハラジャ・カーンの次女で、姉はドズル・ザビの愛人だったということです。ドズルといえば、恐らく設定年齢が22歳ぐらいじゃなかったかと思うのですが、そんな若さで妻がいて、さらに愛人がいるなんてすごいですね、あの顔で。それはともかく、高官の娘でありながら愛人というポジションで満足しなければならなかった姉というのも、どうでしょう。何か、政略的なことがあったのでしょうか。ハマーン自身はニュータイプの素質があり、ララァ・スンが訓練を受けたフラナガン機関で育成されていたようです。となれば、ララァを訪ねて足繁くフラナガン機関に通っていたシャアは、当然当時から彼女のことを知っていたと思われます。
戦後、木星圏にある小惑星「アクシズ」に逃れて潜伏していた彼女は、恐らくここで、シャア・アズナブルと再会したものと思われます(打倒ザビ家をスローガンに戦ってきた彼が、この場に及んでサビ家関係者のところへ身を寄せるというのもおかしな話ですが)。しかし、彼女の年齢は、終戦当時で12歳。その半年後ぐらいに再会したのだとしても、ハマーンはともかくシャアが本気で相手にする年齢ではありません。恐らく、かつてのジオンの英雄の登場に心躍らせた少女ハマーンがシャアに対して一方的に胸をときめかせ、他に行き場のないシャアは保身のためにそんな彼女の純粋な恋愛感情を利用して、アクシズ内でそれなりの立場を確保していったというところではないでしょうか。
ところで、女性の中には自分よりかなり年上の男性ばかり好きになる人がいます。このような女性は、何らかの理由で父親と疎遠であったり、良好な関係になかったために、受け損なった父親からの愛情を得ようとして、父親を思わせるような年上の男性を好きになるのです(もちろん、本人にそういった自覚はありません)。
また、このぐらいの年齢だとアイデンティティが十分に確立されていない年齢でもあり、人の思想や考えを、無批判にそのまま自分のものとして受け入れてしまうということもあります。この頃、シャアからその思想を吹き込まれ、それをそのまま自分のものにしてしまったということもあるでしょう。彼に認められたい一心で、背伸びをして彼の行動を真似たり、様々な知識を身につけようとしたということもあるかもしれません。彼女の人格形成に、シャアが大きな影響を及ぼしたことは間違いないと思います。
しかしシャアは、父マハラジャ・カーンの死去にともなって彼女がミネバ・ザビの摂政に就任するとまもなく、アクシズを去って行ってしまいます。このときはじめて、ハマーンはシャアとのロマンスが実は自分の幻想にすぎず、シャアは自分を愛しているふりをしているだけで本当は全然愛していなかった、と知ったのではないでしょうか。というのも、のちにハマーンは戦闘中にZガンダムの主人公でニュータイプのカミーユ・ビダンと精神が“共鳴”し、互いの記憶を垣間見るという体験をすることになるのですが、そのときカミーユに、シャアとデートしている場面の記憶をのぞかれたハマーンは、そのことで激怒しているからです。もし「その時は愛し合っていたけれど、結局仲がこじれて彼は去っていった」のなら、愛し合っていた当時の記憶は、彼女にとって良いもののはず。去っていった悲しみはあるけれど、シャアをこれほど憎んだり、その記憶に触れられて激怒することはないように思います。けれども「愛し合っていると自分は思っていたけれど、彼は最初から全然愛していなくて、ただそんなふりをしていただった」のなら、デートの記憶自体が騙されていた自分の情けなさを思い出させるだけということになります(「シャア、おまえは大した役者だよ!」というハマーンのセリフからも、それが伺えますよね)。すると、思い出したくない、また、彼への強い憎しみを喚起するものとなるのではないでしょうか。
ところで、ハマーン・カーンは作中で、傲慢な態度を取ることのある、大変プライドの高い女性として描かれています。しかし、上記のような流れで見ると、それは、自分の弱さを隠すための鎧のようなもので、本当は、大変セルフ・エスティーム(自己肯定感)が低い女性ではなかと思われます。自己肯定感は、人から愛され、認められる体験を通して、自分は愛される価値のある存在と認識することで育まれるもの。しかし、シャアから与えられていたと思っていたものがすべてニセモノだったとしたら、どうでしょう。育まれていたはずのものがすべて否定されて、ゼロになってしまいます。もう一度高めるためには、本物を手に入れるしかありません。だから彼女は、あれほどシャアに対して憎しみを露わにしていたにもかかわらず、最後にはついに「一緒に来てほしい」と本音を漏らしてしまうのです。彼女の示していたプライドが本物だったら、絶対にこんなことは口にしないでしょう。
そんなわけで、ハマーンはシャアが「関わったけれども愛さなかった女」その1、です。
シャアの「関わったけれども愛さなかった女」その2、はレコア・ロンドです。シャア(彼女と関わっていた当時は、クワトロ・バジーナと名乗っていましたが、ここでは便宜上シャアとします)とは上司と部下の関係で、それなりに親しい間柄だったようです。といっても前述したようにシャアは常に正体を隠して行動している男ですから、あくまでシャアがいろいろ厄介なことにならずにすむ程度の付き合いだったのでしょう。ファーストでは冷酷無比な野心家にして策士だった彼ですが、クワトロと名乗るようになって若干キャラを変え、ちょっと周囲を突き放した感のある、物わかりのいい大人の雰囲気を演じています。そんなシャアと彼女とのやりとりは、いかにも大人の男女という感じがして、周りをうろつくカミーユをやきもきさせたものでした。しかしレコアは、シャアの心が自分の方を向いていないことに気付き始め、彼の元を去ってティターンズに寝返ってしまいます。
レコア・ロンドは敵地ジャブローに単身で侵入するなど、危険を顧みずエゥーゴ(とその実質的リーダー、クワトロ・バジーナことシャア)のために身を犠牲にして戦ってきた女性です。もともとゲリラ活動をしていたという経歴の持ち主でしたから、エゥーゴの政治的意図に共鳴するものがあったのでしょう。けれども実際にシャアと行動を共にするようになってからは、むしろそうした主義主張、大義名分、あるいは理想のためというよりも、シャアという男に対する思いから活動にのめり込んでいったとも考えられます。組織のリーダーとメンバーという間柄では、リーダーの目に留まるためにはそれ相応の実績を上げなくてはいけません。シャアへの思いがあったからこそ、彼女は危険を冒すことができたのでしょう。しかし、シャアはそれに対して、彼女が期待したほどの反応を示しませんでした。危険な役目はさせても、その後のフォローはなかったのです。レコアは次第にやる気を失っていったと思われます。その心境の変化は態度に現れ、カミーユは「何かおかしいですね」とシャアに進言するものの、シャアは「何を苦しんでいるのだ」とレコアを気遣う様子を見せただけで、彼女の心中を察することはできなかったのです。だいたい、彼に「何を苦しんでいるのだ」と直球を投げられて、正直に答えられるはずがないですよね。そんなことを聞く時点で、「あ〜、この人は何にも私のことをわかっていないんだ」と思うはず。正体を隠して生きてきたせいで人間関係のバリエーションに乏しいシャアは、ハマーンぐらいの少女の心はつなぎ止められても、レコアぐらいにものの分かった大人の女性をつなぎ止めておくことができるほどに心の機敏に対応する能力を持ってはいなかったんだろうなと思います。
一言でいえば「鈍感」ってことですよね。
それにしても、ハマーン同様彼女からも憎まれ、敵対する関係になってしまったシャア。こうまで振った女に憎まれるとは、本当に女性心理に鈍い男です。イケメンなのに実はまともな恋愛話のないこの人。本当は、とっても恋愛下手なのかもしれませんね。
MUDDY WALKERS◇