MUDDY WALKERS 

 ガンダム精神世界探索

アムロ・レイとヒロインたち(2)

CASE 3. セイラ・マス

  私のサイトを訪れる際の検索ワードでよく目につくのは「アムロ・セイラ」という組み合わせです。キャラクターの検索ワードではダントツです。それだけこのカップリングへの関心が高いということが伺えます。その理由はあえてここでは言いませんが、ヒーローとヒロインという王道カップルと考えると、分かる気がしませんか。シャアの生き別れの妹という経歴を持つ彼女は、ガンダムに登場するヒロインたちの中でもひときわ花のある存在ですから。アムロがどうかは別にして、まず彼女は非常に男性の「気を引く」女性であることは、まちがいないでしょう。もし、アムロにとっての「ポスト・マチルダ」は、セイラさんだ!と思ってもなんの不思議もありません。  しかし、原作のテレビ版を見る限り、アムロとセイラの関係は微妙です。しかも、続編のZガンダムの時代に入って、フラウ・ボゥはハヤトと、ミライ・ヤシマはブライトとめでたくゴールインしているのに、セイラは一人、世捨て人のような生活をしていました。一体どうしてなのでしょうか。ずばり、それはカイ・シデンの言った彼女に対するファースト・インプレッションがすべてを物語っているでしょう。

「お高くとまりやがって!」

 そうです。彼女は高い所にいて手の届かない女なのです。シャアは生き別れの兄かもしれない、もしそうなら自分が何とかしなければ…と思いつめて生きている彼女は暗く、いつも物思いに沈んでいて笑顔がありません。美しくても、気難しく打ち解けにくい女性というのは、やはり男性も声をかけにくいし、近寄りがたいものなのではないでしょうか。ここで1点、忘れてならないのは、私たちは、セイラが決して心の冷たい、高飛車な女性というわけではなく、実は孤独で一人、兄を思って泣いている優しい少女だということを知っていますが、アムロやその他の登場人物たちは知らないのだということです。そういう彼女の素顔を知っている私たち視聴者は、誰かがそんな彼女の心に届いてほしいと思うのですが、それを知らないガンダム世界の男たちにとって、彼女はチャレンジするにはあまりにも高すぎる壁なのです。
(それなのに、どうして小説版で富野喜幸氏はセイラを、好きでもない男に一度食事に誘われただけで寝てしまうような、敷居の低い女にしてしまったのでしょうか。まったく、セイラらしくないではありませんか)
 しかし、物語の終盤でセイラは兄と直接言葉を交わす機会を持ち、ブライトに思いを打ち明けるなど、次第に心を開いていく様子が出てきます。アムロとは、(映画版では消えてしまったけれど)Gアーマーで常に一緒に出撃していましたから、度重なる戦いの中で、それなりの関係が出来ている様子もうかがえました。物語では、アムロとセイラの関係はそれ以上進展することなく終わりを迎えますが、「その後」にきっと素敵な恋が始まる、そんな予感がしたものです。

 ところが、その7年後の続編を描いたZガンダムで、アムロは絵に描いたような「だめんず」に転落していました。マチルダさんに果敢にアタックしていた頃の面影はまったくありません。一体何があったというのでしょう。そういえば、もう一つとても大きな運命の出会いを、アムロは経験していました。あの女のせいに違いありません。そう、それは不思議少女、ララァ・スンです。

CASE 4. ララァ・スン

 ララァ・スンは、非常にミステリアスな少女です。ルックスからして、この世のものではないかのようで、態度も言葉も、どこか浮世離れしたものがありました。いわゆる「不思議ちゃん」です。しかしそれだけではありません。どこか浮世離れした、聖少女のような存在でありながら、一方で彼女は、サイコミュ兵器を操って一発で戦艦を沈めてしまう、恐るべき能力を持ったニュータイプ戦士という卑俗な存在であるのです。両極あわせもつ、といったらいいのでしょうか。そういう意味で、彼女にはこれまでのヒロインにないインパクトがありました。そんな彼女に、アムロはサイド6で出会います。そこでアムロは、彼女の両極を垣間みることになるのです。湖のほとりにたたずんで、老いていく白鳥を慈しんでいた清らかな少女。そして、宿敵シャアに寄り添う「どう見ても愛人」という汚れた存在。そんなララァと出会って、アムロが彼女に恋をしたとは私は思いませんが、しかし強烈なインパクトを残す存在であったことは確かでしょう。でももし、湖のほとりで一人たたずむ彼女の姿を見ていなくて、シャアと一緒にいるところだけを見ていたのなら、彼女のことをそれほど強く思うことはなかったでしょう。この出会いを機に、アムロのシャアに対する見方が変わったのです。これまでは、単に自分たちを苦しめている敵でした。しかしこの出会いによって、シャアは無垢で清らかな少女を汚す存在となったのです。男らしい騎士道精神を持っていたとしたら、この少女を救いたいと思うのは、自然な欲求ではないでしょうか。囚われの姫を救い出す。これこそ、ヒーローに課せられた永遠のテーマです。
 ところが、戦場で再会したララァは、そんなアムロに対して恐るべき言葉を次々に投げかけます。

「シャアをいじめる、悪い人」
「シャアを傷つける、いけない人」
「あなたを倒さねば、シャアが死ぬ」
「あなたの来るのが遅すぎたのよ」
「なぜ、あなたはこうも戦えるの? あなたには守るべき人も、守るべき物のないというのに…」

 それは、アムロを責め、自尊心を傷つける言葉でした。こういう言葉を投げかけられながら、“ニュータイプへの覚醒”とやらで“共感”し“わかりあえる”に至った2人の神経を疑うのですが、結局アムロに残ったのは、このララァの投げかけた自尊心を傷つける言葉と、わかりあえたはずなのに、結局ララァはそんな自分よりも“愛する”シャアを選んで死んだ、という残酷な事実だけ。アムロはシャアを圧倒する力を持ち、囚われの姫を助けだすチャンスをものにしならが、当の本人から激しく拒絶されてしまったのです。これで自虐的にならない男がいたら、その方が不思議です。

 結果的に、アムロはララァの中に清らかな少女像を見たけれども、ララァは自らその幻想を打ち壊し、アムロの騎士道精神を拒絶して、自らのシャアへの愛欲と執着を抱えて死んでいったのです。彼女はまさにファム・フェタール、男の運命を狂わせる女でした。彼女の言動はアムロだけでなく、シャアにも深い傷を残しますが、それは「シャア・アズナブルとヒロインたち」と題して、また論じてみたいと思います。

 さて、こうして2人の男の運命を狂わせたファム・フェタール、ララァ・スンは、『源氏物語』の六条御息所ばりに生霊(笑)となって(いや、もう死んでいるから死霊か…?)ふたりを「逆シャア」の時代まで苦しめることになるのですが、一体彼女は、アムロを、あるいはシャアを愛していたのでしょうか。
 英国のロックミュージシャン、スティングは、愛についてこんなふうに歌っています。

 “If you love somebody〜, set them free〜♪”
(もし誰かを愛しているなら、その人を自由にしてやれよ)

 ララァの思いは2人を縛り、それゆえに彼らは苦しんでいました。そんなララァの思いは、本当の愛ではなかったのです。


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