◇MUDDY WALKERS
これまで見た映画の感想を、簡単な評価点つきで紹介しています。★3つは普通に楽しめた映画。★2つはちょっと退屈だった映画、★1つは時間の無駄、という感じです。
さ行
笑えない喜劇ほど苦痛なものはない。一言で言うとそんな映画だった。お話しはというと、大晦日を迎えたホテルのドタバタ劇というだけのことである。登場人物が多すぎて一人ひとりの描写が浅くなった分、だれにも感情移入できずに目の前で起こっている滑稽な出来事を呆然と見ているだけ。しかも、誰一人好感の持てるキャラクターがいないので、本当に困ってしまった。特に松たか子のキャラは、なぜそんなことをするのかまったく気持ちが分からない。主役の役所広司もいいところなし。このような喜劇にはまったく向いていないということだけは良くわかった。トム・ハンクスぐらいのタレントがないと、無理だろうねえ。役所のトホホ感のなさはどうしようもない。
多分舞台で見ると面白いのだろう。映画では無理。同じ脚本でも舞台と映画は違うのだろうなーと思った。そして三谷幸喜はどこまでも、舞台の人なのだ。
インド奥地にあるチベット仏教僧の僧院で修行するチベットの少年たちが、フランスワールドカップをテレビで観ようと奮闘する。タイトルのカップは、W杯のカップと、おわんのような形の衛星放送の受信アンテナをかけているのだろう。チベット仏教とワールドカップという異色の組み合わせが興味を引くが、メインとなるのはテレビとアンテナをめぐって少年僧たちの巻き起こす騒動。ほのぼのとしたスローテンポなコメディ。
大のサンフランシスコ・ジャイアンツファンのギル・レナード(ロバート・デ・ニーロ)は、ナイフ製造会社の営業マン。営業成績が思わしくなくクビ寸前、父親としても失格で、別れた妻からは子供に近づかないよう令状が届けられる始末で、破れかぶれの人生であった。そんな中、スター・選手のボビー・レイバーン(ウェイズリー・スナイプス)が400万ドルという破格の年棒で移籍してくる。スラッガーの活躍で人生の鬱憤を晴らそうとするギルだが、レイバーンは極度のスランプに。プリモという選手が彼のお気に入りの背番号を譲らなかったからだ。次第にギルは狂気に取り憑かれ、レイバーンのために背番号を取り戻そうと企てる…。
一言でいうと、野球の世界を舞台にしたストーカーもの。あるファンが一人の選手に熱狂し、勝手に妄想をふくらませ、やがて選手の言動に裏切られた気持ちになり、復讐していくという物語である。こう書くと面白そうに感じるが、映画を観るとそれほどでもなかった。デニーロは申し分なく巧いのだが、最初から異常にキモすぎて引いてしまう。ウェイズリー・スナイプスはとてもバリー・ボンズのような強打者には見えないし、口でいうほど完璧主義者にも思えなくて、ちぐはぐな感じだ。だからどっちのキャラにも感情移入ができなくて、困ってしまう。それでも、デニーロが本格的なストーカーになっていくまでがやや退屈なものの、事を起こしてからは一気に盛り上がる。クライマックスもそれなりにハラハラするけど、終わってみれば「結局何だったんだろう」という感じ。ストーカーの狂気を描くのはいいとして、メジャーリーガーの金満体質を皮肉りたかったのなら、ストーカーの異常な行動に一分の理を与えてしまって逆効果だったのかも。飽きずに最後まで見られたけど、どうも後味が悪かった。
貧しい漁村から口減らしのために売られた少女が花街で一番の芸者となるという、女の一代記。日本を舞台にした作品だが、原作も映画化したのもアメリカ人。「ラスト・サムライ」と同様、ハリウッド製和風ファンタジーといったところである。とはいえ、「ラスト・サムライ」ほど違和感を感じなかった。日本人キャラがみんな英語で会話するのも、中国人女優の芸者姿も、心配したほど気にならなかった。しかし、見終わった後の感想はというと、「で?」というしかない。さゆりの生き様や芸者の世界のしきたりを描くことで、一体何を伝えたかったのだろうか。
千代が花街に売られてきて、さゆりという芸者になり、ライバルの初桃と壮絶な置屋の後継者争いをするところは、絢爛な世界の裏の女のドロドロを描いていて、退屈しない。初桃を演じたコン・リーは憎まれ役を見事に演じた。ところがコン・リーが姿を消すと、火が消えたように画面が寂しくなり、映画も失速してゆく。残念ながら、チャン・ツィイーのさゆりに、まわりを圧倒するような存在感がないのだ。不思議な瞳を持つという設定も生かされていないし、男を虜にする美しさと芸と色気も十分に描かれていなかった気がする。そのために、彼女の一途な恋愛も「あ、そう。」という感じでしか観ることができなかった。
製作のスティーブン・スピルバーグは原作に惚れ込んで映画化を決めたというが、一体この話のどこの魅力があったのだろう、と思ってしまう。「ラスト・サムライ」ではサムライをインディアンの部族のように描きながらも、武士道という独特の美学を描いて感動させた。しかし残念ながら「芸者は娼婦ではない」のが事実であったとしても、芸者は武士のような、ある種の美学を体現する存在ではないのだ。
芸者の世界には詳しくないのでいろいろ勉強になったが、千代が神社にお参りするシーンで、どう見ても伏見稲荷という鳥居をくぐって、お賽銭をなげて鈴をならすところで「ゴーン」と鐘の音がしたのには、ずっこけてしまった。というわけなので、どこまで考証が確かなものかも、正直いってよくわからない。
着物の着方がまことに雑で興ざめしたが、映像はまことに美しく、退屈はしない。しかし面白かったかと聞かれるとそれほどでもなく、つまらなかったとのかといえばそれほどでもないという微妙な感想にとどまった。
マイナーチーム「ダーラム・ブルズ」を舞台に繰り広げられる、ルーキー投手ヌークとベテラン捕手クラッシュ、選手を育てつつベッドをともにするのが生きがいの女性アニーとの奇妙な三角関係を描く。ティム・ロビンス演じるルーキーの剛速球投手は恐るべきノーコン。彼を「メジャー級」に育て上げようとチームに呼ばれるのが、ケヴィン・コスナー演じるベテラン捕手だ。捕手のサインに従おうとしないルーキー投手とのやりとりは、野球ファンなら見応えがある。ノーコンの剛速球投手、それを育てるベテラン捕手をはじめ、オンボロバスでの長距離遠征、ブードゥー信者のおかしな選手など、「あれ、この設定はどこかで見たことが」と思ったら、そう、大ヒットした「メジャー・リーグ」にそっくりだ。「メジャー・リーグ」はここからパクりましたね。ルーキーとベテラン、2人のマイナー選手の明暗がいいが、アニーとの三角関係に力を入れすぎで焦点がボケてしまったかも。
空前のSFブーム、アニメブームを巻き起こした『宇宙戦艦ヤマト』の続編として制作された劇場版。劇場版一作目はTV版の再編集モノだったが、こちらは映画として製作されているだけに、作画も美しく見応えがある。
恥ずかしながら、主人公古代進が初恋の人といってもよい私。アニメの視聴者の年齢層をぐっと押し上げ、アニメ映画というジャンルを確立させたエポックメーキングな作品としてリスぺクトはするものの、今見ると、うーむ。ツッコミどころが満載で、何とも言えない気持ちになる。オープニングから妙な間があったり、死にゆくデスラーのカットに異様なほど時間を割いたり。ストーリー的にも、テレサとデスラーははっきりいって蛇足では…(っていうか、テレサ一人で突っ込めばすんだ話じゃん!とか言いだしたら、もう…)と、アラが目立つし、さすがに30年近くたつと色あせて見えるということは、名作と呼ぶには足りない作品なのか。
アメリカ映画でいうと『インディペンデンス・デイ』とか『アルマゲドン』に相当する泣かせどころ満載の我が国万歳映画。初めてご覧になる方は、そういうジャンルと思って楽しまれるとよいのでは。
DVDには「初公開時の最終テロップ」なるものが復刻されている。これを見たら、誰でも叫びたくなるだろう。「この、裏切り者!!」…ここでやめときゃ良かったのに。
アメリカの独立記念日に生まれた青年が、ベトナム戦争で謝って友軍の兵士を射殺してしまう。さらに自分も半身不随になって帰国。国をあげての反戦ムードに戸惑いながらも、生きる道を模索していくというような話だったと思う。大好きな「プラトーン」の続編的な映画、しかも主演は「トップガン」で一躍スターに躍り出たトム・クルーズとあって期待をいっぱいふくらませて映画館に行ったが、がっくり。実話がもとになっていて、確かに感動的な話なのだろうけど、暑苦しいトムの演技と演出、映画の長さにぐったり。観た感想は一言「疲れた」。
ミッキー・ロークが元IRAの殺し屋を演じる。誤ってスクールバスを爆破してしまい、罪の意識に苛まされたファロンは軍、警察、そしてIRAからも追われる身になっていた。足を洗うために引き受けた最後の仕事を無事終えたファロンだが、その射殺現場を神父に目撃されてしまう。そこでファロンは神父の教会で殺人したことを告解し、口封じを図った。神父の盲目の娘と愛し合うようになるファロンだが、追っ手が迫ってきて…というストーリー。原作はジャック・ヒギンスで、カトリックの教義で、罪の告白を受けた神父はその内容を絶対に他言してはならないという掟をうまく使った良質のサスペンス。ミッキー・ロークにはまっていた当時、彼の出演作で一番好きな作品だった。今思うと、主演がミッキー・ロークでなかったら、もっといい映画になっていたんじゃないかと思う。ミッキー・ロークはいやらしい色気が満載で、ストイックで罪の意識に悩んでいる殺し屋には見えないよ。いやでもそのいやらしい色気に昔はやられていたんですけど。
車窓から見えるダンス教室の先生に憧れて、社交ダンスを始めるしがない中年サラリーマン。ダンス教室にやってくる生徒たちがみんな強烈なキャラで、笑わせてくれる。美しいがどこか陰のある先生が、さえない中年オヤジを通して苦い過去を克服していくのもいい。
前に周防監督のオリジナル版を観ていたが、あまり細かく覚えていなかったので、それなりに新鮮な気持ちで楽しむことができた。ちょっとさびれた感じのダンス教室が、リチャード・ギア演じる主人公が参加するようになってだんだん活気づいてくるところが良かった。オリジナルで竹中直人がやっていたキャラ(ラテン系のノリの嫌われ者)、渡辺えり子のやってたキャラ(ダンスに情熱を燃やすおばはん)はアメリカ版でも同じような濃いキャラで、笑わせてくれる。残念なのは、リチャード・ギアが最初からかっこよくて、くたびれて希望のない夫には見えないことと、ジェニファー・ロペスに窓際に立っているだけで心惹かれるような飛び抜けた美しさを感じられないこと。でも、最後に赤いバラを持ってタキシード姿で現れたリチャード・ギアがとってもかっこ良かったので、許しましょう。それにしてもすごいのは、妻役のスーザン・サランドンの存在感。
ユ長官の奥方様(イ・ミスク)と領主様(ペ・ヨンジュン)はいとこ同志。実はかなわぬ初恋の相手でもあった。奥方様は遊び人の領主様にある賭けを持ちかける。それは、婚約者を亡くしていらい貞操を守っている未亡人(チョン・ドヨン)を落としたら、ご褒美をあげるというものだった。領主様は未亡人に近づいていくが、いつしか遊び心が本気の恋になっていく…というお話。
ヨン様ファンでも、韓流にはまったわけでもない私の感想は「まあまあおもしろい」けど「なんか物足りない」。まず、すばらしかったのは、奥方様を演じたイ・ミスク。とにかく美しいし、本心では領主様のことが気になって仕方ないのにそれを隠している様が、実によく表現されていたと思う。そして、物足りなかったのは、ペ・ヨンジュンとチョン・ドヨン。かたくなに領主様を拒んでいた未亡人が関係を持つに至る心の変化が、ちょっと伝わってこなかったし、ペ・ヨンジュンの方もなんか表面的な演技に終わっていたような…。この二人に、背徳の関係にはまってしまうほどの抗いがたい魅力というものが感じられなかったのが、つらいところだ。
しかし、一番物足りなかったのは、エロな映画なのにちっともエロを感じさせないところだろうか。とにかく端正に美しく作られていて、みな実に端正な演技をしている。画面がきれいに作られすぎていて、いけないことをしているという、やましさや暗さの中の美みたいなものがなかった。美しく撮るのはいいことだけど、テーマにはそぐわなかったと思う。それから、特に昼間の屋外のシーンはかなり貧弱だし、映画的なスケールの画面とか、領主様の貴族的な生活とか、姦通の罪に対する恐ろしい罰とか、そういうものを見せられるともっと3人の関係に「萌え」られたのではないかなあ。
日本語の副題は「ジェダイの復讐」から改題。エピソード3「シスの復讐」との重複をさけるため。「あっ」と驚く真相の暴露、「いよいよこれから帝国に立ち向かう」というクライマックス直前でジ・エンドを迎えた衝撃の第二部から3年。旧三部作のラストであるということは、全6部作の終章ということでもある。前作を映画館で観て「えっ、ここで終わり?」とお口ぽか〜ん、だった私は3年待つ間に他のことに心奪われ、劇場で観たのをすっかり忘れてしまった。というか、多分今まで観たことがなかったのだ。25年ぶりに観る「帝国の逆襲」のつづき。これは期待せずにはいられない。宇宙の存亡をかけた最後の戦いの火蓋が切って落とされるのである。どきどき。わくわく。
ところが、物語は借金取りに冷凍カーボンにして送られたハン・ソロを助け出すという冒険活劇から始まる。まあ、それはいい。しかし出てくるのは醜悪なクリーチャーばかりで、うーむ。いつになったら本題に入るの?という感じ。ハン・ソロ救出は重要なエピソードだが、あれだけ期待させておいて、ひどくあっさりした扱いだ。やっと主要キャラが揃って、さあこれから大戦争だ!と思ったら、なにやら緑のおいしげった森の中で、原始生活を送るクマさんたちとドンチャン騒ぎ。おいおい、一体いつになったら本編が始まるんだよ・・・と次第に眠くなる。あの森のクマさんがイウォーク族っていうんですか。そんなん、どうでもいいです。スター・ウォーズ最終章は、宇宙の果てまで埋め尽くされた帝国軍の艦隊と、反旗を翻した星々から集ってきた同盟軍の艦隊が総力戦を展開する、そういうストーリーであるべきじゃないのか。そういう意味で、ちょっとがっかりな出来。ハン・ソロ救出もイウォーク族との交流・共闘も悪い話ではないが、これが最後の最後のクライマックスなんですよ。そう思うと、何だかなあ。ラストのダース・ベイダー対ルーク・スカイウォーカーが良かっただけに、前半から中盤の組み立てが何とも、悔やまれる。
出演者もみんなさすがに老けたなあという感じ。ルーク役のマーク・ハミルはダビデを思わせる美声年だったが、一作目と二作目の間に交通事故で顔面を損傷。容貌がかなり崩れてしまっている。レイア姫役のキャリー・フィッシャーは撮影時からドラッグ中毒に陥っていたという。そんな苦難と不幸の暗黒面を知れば、彼らの急速な老け具合にも少しは納得がいくだろうか。出来にはやや不満足だが、大変な中撮影をこなしてきた彼らには、心からありがとうといいたい。
初めの10分の映像はすごい。ヒュー・ジャックマンはかっこいい、ということが分かったのは良かった。しかしゴルフのスイングは無茶苦茶だ。ハル・ベリーはもっとひどい。この映画を観た収穫は、それくらいだ。
世界ナンバーワンといわれたハッカーのもとに、銀行から巨額の金を強奪しようとするナゾの悪党がやってきて、ムリヤリ協力させられるが、それは単なる銀行強盗ではなくて、新手のテロ対策なんだという。しかしなぜそれがテロ対策になるのか、さっぱりわからん。それに、ハッキングで口座から口座に金を送金させるのに、どういうわけか武器満載で銀行を襲撃するのだ。なんか、もうその時点で「あたま、わる〜」。ヒュー・ジャックマンはハッカーというイメージとは程遠いし、それよりなにより、この悪党一味は最初からとにかくやることなすこと下品でどうしようもない。ハル・ベリーもフェロモン全開で登場して、結局胸を見せたのが一番印象に残るぐらい、どうしようもない役どころだった。最後のどんでん返しも、うーん。よくわからない。この世にはジョン・トラボルタ顔が何人いるんや!という感じだ。悪役のジョン・トラボルタが冒頭で「最近のハリウッド映画にはリアリティがない」などと蘊蓄を垂れるのでどんなすごいものを見せてくれるのかと期待したが、どうもあの台詞はこの映画のつまらなさに対する言い訳だったようだ。
MUDDY WALKERS◇