MUDDY WALKERS 

デッドマン・ウォーキング Dead Man Walking 

デッドマン・ウォーキング 1995年 アメリカ 122分

監督ティム・ロビンス
脚本ティム・ロビンス
原作シスター・ヘレン・プレイジョーン

出演
スーザン・サランドン
ショーン・ペン
ロバート・プロスキー
レイモンド・J・バリー

スト−リ−

 カトリックのシスター、ヘレン(スーザン・サランドン)は裕福な家庭の出身だが、スラム街に暮らし「希望の家」という施設の運営に携わっていた。そんな彼女の元に、死刑囚マシュー・ポンスレット(ショーン・ペン)から何度か手紙が届く。ヘレンは求めに応じて刑務所に出向き、彼と面会する。手紙の文面とは裏腹に、マシューは傲慢でまるで罪の意識を感じていない様子だった。彼は友人と2人で若いカップルを襲い、男性をライフルで撃ち殺したうえ女性をレイプしてナイフで刺し殺したのだ。マシューはこの罪で死刑となったが、共犯者はなぜか無期懲役だった。これが納得できないマシューは再審を要求していた。しかし再審は困難と判断したヘレンは、弁護士のヒルトン・バーバー(ロバート・プロスキー)に強力を求め、特赦審問会請求をすることにする。そしてヘレンは審問会で証言してもらおうと、マシューの母親を訪ねる。そこには息子の犯罪のために人々から蔑まれ、ボロボロになってしまった家族の姿があった。そして特赦審問会の日。休憩時間にヘレンは被害者男性の父親アール・デラクロワ(レイモンド・J・バリー)から「あんなヤツを救おうと思うなんて」と激しく叱責される…。

レビュー

 ある夜たまたまケーブルテレビの映画チャンネルをつけると、この映画のタイトルが出てきた。「デッドマン(死人)がウォーキング(歩く)なんて、ホラー映画かな?」と思いつつ、観てみることにした。つまらなかったらいつでも止められるのが、テレビのいいところだ。ところが予想に反してストーリーに引き込まれ、散歩をせがむ犬をウロウロさせたまま、最後まで観てしまった。

 後から知ったが、この映画は実話をもとにしているそうである。なるほど、と思う。人が頭で考え出したストーリーだったら、主役の死刑囚をこんな人間には設定しないだろう。マシューはレイプ殺人犯でヒトラーを礼賛する人種差別主義者。「人間のクズ」なんて言ってはいけないんだろうけど、やはりこいつはクズだよ、どう考えても…と思うような人物なのだ。このようなキャラクターに共感することは難しい。そんな死刑囚マシューと最期まで過ごす精神アドバイザーとの交流を描くのがこの映画である。同情の余地がない死刑囚マシューを救おうとするシスター・ヘレンの気持ちを理解できないでいると、まったく入り込むことができないだろう。私はマシューという人物を確かに「人間のクズみたいなヤツ」と思ったけれど、同時に興味を覚えた。それはシスター・ヘレンがどのように、固く閉ざされ、自己中心と他者への憎悪という高い防護壁に囲まれたマシューの心に届いていくかに関心があったからだ。2人の間にはつねに、隔てるものがある。それは金網であったり、透明のアクリル板であったり、檻だったりする。最初の面会は金網ごしで、マシューの顔はひどく見づらい。視覚的にも、彼とシスターとの心の距離が遠いことがわかる。2人が面会する場所は時によって違っており、それが2人の心の距離を視覚的に教えてくれる。そして何より、マシューを演じるショーン・ペンの演技。すごいとしかいいようがない。彼はつねに手錠と足枷をされているから、演技といってもほとんど顔だけだ。しかしシスター・ヘレンとの距離感が、見事にその態度と表情に表現されている。顔というのは、内側のものが外側に表出される器官なのだ。

 映画は単に死刑囚と精神アドバイザーとの心の交流にとどまらず、一つの殺人によって人生が変わってしまった3つの家族の姿をも描き出す。マシューは再審、減刑を嘆願しつつも自分が不利となるような人種差別的発言を止めることができない。「どうしてこんな人を助けなければいけないの」。思わずシスター・ヘレンも口からもらしてしまうほどである。しかし彼女はまっずぐに立ち向かっていく。マシューの母親に対して、また被害者の親たちに対して。たとえ敵意を見せられようとひるまず人々に近づいてゆく彼女の勇気と愛には、感動を覚えずにはいられない。

 しかし圧巻はやはり死刑当日のマシューとシスター・ヘレンとの時間であろう。死刑を前に、シスター・ヘレンが願うことはただ一つ、マシューが自分の犯した罪を自分の口で告白することである。そのために、激しく彼にぶつかってゆく。この場面では聖書の教えるキリスト教的価値観が全面に押し出されるため、その価値観を受け入れがたい人にとっては不可解とうつるかもしれない。だが、大切なのはやはり、そこなのだ。例えば池田小児童殺傷事件を起こした宅間守は、最後まで悔悛の心を示すことなく死刑に処された。犯人が死刑になれば、被害者の家族の心は晴れるのかというと、そうではない。自分のしてしまったことを認識し、悔い改めて謝罪する気持ちを持たないままでは、刑に服したとしても責任を取ったことにはならないのではないか。シスター・ヘレンは死刑そのものには反対の立場にいるが、マシューに対しては正しい責任の取り方をさせようと、最後まで決して諦めなかった。そしてマシューの心を固く防御していた壁が崩れる。

 映画は静かなラストを迎える。主題歌はこの映画のために書き下ろしたというブルース・スプリングスティーンの「デッドマン・ウォーキング」。歌に寄せられたマシューの思いと、葬儀の場に訪れた被害者の父、デラクロワの思いとが静かな余韻となって心にあふれた。

「『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」
(新約聖書 マタイによる福音書5:43〜45)

評点 ★★★★★

<<BACK  NEXT>>

 MUDDY WALKERS◇