MUDDY WALKERS 

エイリアン2完全版  ALIENS SPECIAL EDITION

エイリアン2 2012年 日本

監督ジェームズ・キャメロン
脚本ジェームズ・キャメロン

出演
シガニー・ウィ−バー
マイケル・ビーン
キャリー・ヘン
ランス・ヘンリクセン
ビル・パクストン
ジャネット・ゴールドスタイン
ポール・ライザー

スト−リ−

 宇宙貨物船ノストロモ号がエイリアンに襲われ、ただ一人生き残った星間航海士リプリー(シガニー・ウィーバー)。彼女の乗った救助艇が発見されたのは、事件から57年もたった後だった。莫大な金額の貨物と宇宙船を爆破してしまった責任を問われたリプリーは、航海士の資格を剥奪されてしまう。そんな彼女に、もう一度あのエイリアンの巣くう宇宙船があった惑星LV-426に行ってほしいと依頼がくる。あの惑星は植民地として開拓されていたが、住民からの連絡が途絶えたのだ。一旦は断るリプリーだが、あの悪夢を乗り越えるため、もう一度エイリアンと対峙することを決意する。そして植民地の住民の救出とエイリアン撲滅を目指し、海兵隊とともに戦艦スラコに搭乗。惑星LV-426に降下すると、コロニーは廃墟と化していた。そこでただ一人生き残った少女ニュート(キャリー・ヘン)を発見。地下3階でエイリアンと遭遇した海兵隊は半数以上が戦死してしまい、さらに着陸艇も墜落して惑星から離陸する手だてを失う。海兵隊のヒックス伍長(マイケル・ビーン)、バスクエス(ジャネット・ゴールドスタイン)、ハドソン(ビル・パクストン)らとともにバリケードを築いて立てこもったリプリーは、ニュートを必ず助けると約束するが…。

レビュー

   この映画を最初に観たとき、まだ20代の前半じゃなかったかと思う。その時は正直、好きになれなかった。主人公であるリプリーは前作で強い女になったが、ここでは冒頭から他人を寄せ付けない怖さを持っている。尊大でいつも青筋を立てているかのようなリプリーと、ただ一人エイリアンを知るリプリーの話をまともに聞こうとしない兵士たちとの不協和音が、当時の私には耐え難いものとうつった。その後の展開は息をつくまもないアクションの連続で面白かったが、見終わって残るのはやっぱり異様なリプリーの強さだけ。そのときはまだ、この映画に公開されなかった重要な削除シーンがあることを知らなかった。

 「エイリアン2完全版」は1986年に公開された劇場版に、J・キャメロン監督自身が未公開シーンを追加・編集したもので、恐らく今ではこちらの方がスタンダードになっているのではないかと思う。主人公リプリーのとる行動の意味を知るための重要なシークエンスが追加されており、厚みのあるドラマに仕上がっている。「エイリアン2」はこの完全版をもって完成したといってよいだろう(完全版じゃなかったら、★3つの出来だと思う)。

 恐怖の体験は、人の心から人間性を奪う。痛みや悲しみ、恐れ、不安といった感情を抑圧し、切り離そうとするからだ。しかし、感情とは心を生かす血液のようなものだ。感情をなくせば心は死ぬ。感情を殺すことで、人間性を欠いた温もりのない人間ができあがってゆく。
 前作で恐怖体験の末ただ一人生き残ったリプリーは、まさにそのような状態にあった。しかも、救助された彼女に、貨物船爆破の責任が突きつけられる。恐怖体験の後の、冷え冷えとした人間関係。リプリーは怒りに満ち、一人の理解者も得られないまま悪夢に脅える日々を過ごさなければならない。しかも、57年間という長期の漂流の間に、幼い一人娘も亡くなってしまった(これが完全版で追加された最も重要なエピソードである)。リプリーの心を覆うのは、深い喪失感である。リプリーは再びエイリアンのいる惑星へ行くことを決意する。「今度は戦争だ!」という映画のキャッチフレーズ通り、今回はエイリアンを撲滅させる戦いのための旅立ちだ。と同時にこれは、リプリーが人間性を取り戻すための旅でもあった。

 植民惑星のコロニーは住民全員が姿を消してしまっているが、そんな中、ただ一人生き残った少女が救出される。最初に発見したのはヒックス伍長。彼はドレイクに発砲を止めさせるとリプリーを呼び、壁の隙間に隠れている少女ニュートに笑顔を見せて手を差し出す。大変印象的なシーンである。それは単に高まっていた緊張から一気に解放されるからという理由だけではない。恐怖の体験から心を閉ざし、救助を拒絶するこの少女こそ、リプリーが封印してしまった心の象徴なのだ。今回は多くの兵士を引き連れながら、結局リプリーはエイリアンにさらわれたニュートを取り戻すため、一人でエイリアン・クイーンと対峙することになる。母対母、女同士の対決と言われるが、それだけではない。これは、エイリアンの恐怖に囚われた自分自身の心を取り戻すための戦いでもあるのだ。

 こうして戦うヒロインとなったリプリーだが、人間に対しても深く絶望していた彼女を救い出す役割を果たしたのが、この映画のもう一人のヒーロー、ヒックス伍長であろう。彼はニュートを最初に発見すると同時に、リプリーの心の中に脅える少女の姿を発見した。他の兵士が彼女の「強さ」に圧倒される中で、ヒックスだけがリプリーの弱さを見抜いているかのように思えるのは、そのためだろう。ヒックスはリプリーに「念のためだ」といって発信器をつけさせる。「婚約指輪にはならないけど」と言って。あの強気で攻撃的なお姉さんにそんな余裕のある言葉をかけられるのも、彼女の強さが自分を守る殻のようなものだと分かっていたからかもしれない(ヒックスが身に着けているボディアーマーの胸に錠前をつけたハートが描かれているのが、何とも思わせぶりである)。ヒックスはエイリアンに奪われたニュートを救出しに行こうとするリプリーと互いのファーストネームを名乗りあって言う。「早く帰れよ、エレン」(これも完全版で追加されたシーンの一つ)。どうということのないシーンなのかもしれないが、大切だと思う。ニュートを救い出して帰ってきたとき、彼女はエレン・リプリーという豊かな感情と温かな人間性を回復した、本当の意味で強い女性になるのだから。(その意味で、ニュートを連れ戻してからの戦艦スラコでの最後の戦いは蛇足である。リプリーが乗るガンダムもどきのパワーローダーはダサイし、あの巨大な戦艦に、誰一人クルーがいないとはどういうことなのか?)

 前作はスタイリッシュな映像美で「見えない」恐怖を絵害で完璧なSFホラーとなったが、ジェームズ・キャメロンはがらっと方向性を変え、娯楽性を重視したSFアクションに仕立て上げた。一番大きな違いは、原題を見ればわかるように複数のエイリアンが次から次へと襲ってくることである。そのためエイリアン一匹あたりがずいぶん弱くなったように感じられてしまい、前作のような恐怖感はまったくない。かわってアクション映画ならではの血沸き肉踊る興奮が楽しめるのが、シリーズ1の人気を誇る要因だろう。マイケル・ビーン扮するヒックスをはじめバスクエス、ハドソン、ビショップといったキャラクターも魅力的。しかし何より私がこの作品をいいと思うのは、かつては孤独だったリプリーが一人ではなく、小さな家族のようになって帰路についていくラストである。次に始まるのはリプリーとヒックスの、というよりエレンとドウェインの物語だろうか、と期待を持たせてとても良い。その続編は、映画を観た人それぞれが心の中に描くだけでよかったのだ…。

評点 ★★★★★

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