Mobilesuit Gundam Magnificent Theaters 2005.

An another tale of Zeta・・・INTERVIEW


(インタビュー 2019/3/23)




機動戦士Zガンダム ハヤト・コバヤシさん
※本作の記述とは関係ありません。



はじめに

ハヤト: 皆さんこんにちは、カラバのハヤト・コバヤシです。ATZのインタビュアーを務めています。

小林: 作者の小林昭人です。

※画像等は後で付けます。

1.サイト移転(ATZ掲載終了)



ハヤト: こんなに長くなるとは思いませんでしたが、公開終了ですね。2005年から14年間、途中フォーマットが変わったり第三部が再編されたりしましたが、もう小説を無料で読むことはできなくなるわけで。

小林: 今の人たちっていい文章が分からないし、数行程度の文しか読めないようなトリ頭だから、もったいなくてもう読ませなくても良いんじゃないか?

ハヤト: まあ、各話紹介がありますから、片鱗程度には触れられますし、ボツ原稿集の資料集は残しますからね。このくらいで十分と

小林: 過去インタビューのアーカイブも廃止だ。インタビューって基本的に読み捨て記事で、それは記事まで消さないけれども、わざわざストックして管理するようなものでもないからな。

ハヤト: しかし、小説それ自体はいずれ再掲するのでしょう?

小林: その件については、我ながら罪の意識を感じているんだ。


2.「リメイク」のオリジン



小林: 知っての通り、ATZの執筆は2005年で、これはガンダムUCより3年も前だし、この時点では富野のZガンダム映画版はあったが、ATZのような形のリメイク、つまり既存作品を下敷きにして別の物語を展開する、は、存在していなかった。執筆に際してネットにある二次創作、ガンダムに限らずルパンなんかにも目を通したが、どの作品も既存作品におけるイベント、例えばシャアがアクシズを地球に落とすとか、ネオジオンでハマーンが死ぬとかに囚われすぎていて、というより既存作品がなければ解釈もできないような作品がほとんどで、いずれにしろ、それらは私の書きたい作品とは程遠いものだった。

ハヤト: 最近は矛を収めていますが、アナタはZガンダムを下敷きにしたくせに、作品や監督の富野さんには極めて批判的でしたね。

小林: Zの映画版はATZとほぼ同じ時期の公開で、この作品を取り入れる余地は執筆で忙しいこちらにはなかったけれども、オリジナルの作者が作ったにしては限界を感じる出来だった。前作のイベントはほとんどが焼き直し、ラストがちょっと変わったくらいで、原作者にしてこの程度のことしかできなかったということも、自作の推進に確信を持った理由だ。

ハヤト: とはいうものの、ATZ型のリメイクはアナタが初めてというわけではありませんでした。さらに2年も前の2003年にバトルスター・ギャラクティカがマイナー作だった前作を大胆にリメイクして評判を取っています。ですが、この作品の日本公開は公称2005年ですが、実は2008年頃で、当サイトでも話題にしましたね。

小林: 福井のUCはATZより1年後、2006年に原案が出されて、その1年半後に連載が始まっているけれども、それから3年後の連載終了まで、関係者からはギャラクティカの「ギ」の字も出ていなかったな。一応この種リメイクの元祖はギャラクティカというのが通説的見解だが。

ハヤト: 影響を受けたのはむしろアナタの作品でしょうね。それにUCはアナタほど大胆じゃないです。鮎川ゆかという人に「公式百科事典」というものを作ってもらいまして、そこに挿話を書けそうな隙間があったから書いたというもので、これはアナタの言う執筆前に散々読んだ二次創作の同類ですね。2007~9年では福井さんもこのくらいのことしかできなかった。影響したのはむしろこの種ラノベでは類のない本格的な展開の方だと思います。

小林: 若桜木虔のTV小説なんかが典型で、この種エスエフのサイドノベルというのは対象読者に配慮して、どちらかと言えば読みやすい、勧善懲悪であまり深く突っ込まないライトな作風が良くあるもので、それは「宇宙空母」の時代のギャラクティカもそうだったし、石津嵐、私が図書館で読んだ同じ本では富野喜幸名だったがのヤマトもそうだった。Zガンダムの時代は監督の富野自身が書いていたが、ハッキリ言って大した代物ではなかった。

ハヤト: 石津嵐氏は今では磐紀一郎氏ということになっていますが、アナタの認識ではヤマトのサイドノベルは富野喜幸氏と。

小林: どちらもヤマトのスタッフだったし、この時代のサイドノベルなんてものはアニメ誌の刺身のツマくらいの扱いで、コロコロの漫画と同じような扱いで、私に言わせればどちらが作者でも別に問題ないよ。ただ、小説版「宇宙戦艦ヤマト」の作風は実際に脚本を書いていた藤川桂介の作風とは180度違う。0戦はやとや海底軍艦か何かの影響を受けたようなチープな設定におどろおどろしい怪奇風味を加味した作品で、当時流行していたノストラダムズの大予言風味もある、何というか幼稚な作品だった。

ハヤト: つまり、少なくともアナタの知る限り、ビデオSFの小説版に本格的な小説のような作風は望むべくもなかった。

小林: そういうものを読みたければ、第二次大戦で日本が勝つといった仮想戦記の世界とか、銀河英雄伝説のようにオリジナルを作るとかするしかなく、テクノスリラーというジャンルが出てきていたけれども、ほとんどが現代劇でエスエフはまずなかった。それに銀河英雄伝説も司馬遼太郎なんかが書くような本格的な歴史小説と比べてどうかといえば、とりあえず及第点くらいの作品であることは考慮すべきだし、ほとんど小説並みの水準になっていたニュージャーナリズムと比べても決定的に勝るとはいえない作品だ。ただ、ストーリーの骨格はしっかりしていたから、後のアニメ版のように設定補完をしやすい作品だった。このレベルのものもほとんどなかったんだよね。

ハヤト: 銀英伝については、政治描写が弱点だとは以前も言ってましたね。

小林: 時代的に仕方ないんだ。あの時代のインテリ、田中はもちろんどうだが、は、社会主義が全盛だった時代を見ているし、資本主義の次に来るのが社会主義と無邪気に信じて疑わなかった。同時期に文化大革命もあって、毛沢東は英雄で北朝鮮は社会主義の星と大学のセンセイが大真面目に講釈していた頃だ。なので、数十世紀先の未来を描いた田中の作品の政治体制が北朝鮮そっくりになったのは、それはそれが未来と信じて疑わなかったからだ。

ハヤト: アニメ版の石黒昇さんはこの辺の難点を何とか現代的、アメリカ的に見せようと工夫していましたね。代議員選挙の場面は原作にない場面です。

小林: いずれにしても、ビデオSFみたいなものに10才児向けでない本格的なストーリーを付けようなどという者はいなかったし、いなかったのでいわゆる作家もこの分野には手を出さなかった。彼らに言わせればこれらはエスエフ(サイエンス・フィクション)なんかじゃないんだ。少年がロボットに乗ってドタバタするなんざ科学考証も何もなく、そんなものはナンセンス、そういう見方が大勢だったと思うよ。なので石原慎太郎もこれは書かなかった。

ハヤト: いずれにしろ、アナタは普通の宇宙物を参考にしなかったということですね。

小林: J・アーチャーの作品がいちばん参考になったな。重すぎず、くどすぎず、簡潔な描写で要点は正確、適度な色気もある。アーチャーはオックスフォードで商法の優等学位を取った秀才だからな。


3.二次創作の書き方



小林: ところがさ、2005年の私の執筆時には同じような作品は自分が書いたものしかなかった。が、福井のUCに始まり2199とか2202とか、何というかさ、元作品をオーバーライドするにしてもやり方というものがあるだろうという作品が出てきてしまうと、私が書いた時には他に例のない作風だったこれも一ジャンルを形成してしまい、しかも、悪いことに元の作品の持ち味を完全に殺してしまっていることが多い。前作のスタッフに問い合わせもせずに作るとか、失礼だよね。そして、そういう連中が「こんなのもある」と名指しするような作品が私のだったりギャラクティカだったりするわけだ。こちらはそれなりに配慮したから、呆れて物が言えないというのが本当で。

ハヤト: オフィシャルになるような作品はともかく、いわゆる二次のたぐいでも増えましたね。手法が認知されてきたというか。しかし、アナタも言ってましたが、前の作品で知っているキャラがATZや2202なんかでまるで違う描かれ方をしていると知らない人には面喰いますよね。アナタの場合はマシュマー、あれは別人ですね。2202ではメーザーなんかキャラも設定も全く違いますね。2199では前作では参謀という人物が芹沢と名前付きで登場しています。

小林: だからその前に作り手の側から前の作品をきちんと総括して、作品に対してどういう見方をしているかを明示して改変に取り掛かる必要があるわけだ。ウチがZガンダムのレビューを載せているのは必要だからそうしているんだ。見ての通り、Zガンダムを種にしていながら、作品自体に対してはかなり批判的だよね。それも絵がどうのとかいう皮相的なものじゃなく、制作姿勢そのものを批判している。

ハヤト: アナタは冨野監督の評価下落にかなり貢献したと思いますが、2005年ではどうでした?

小林: 世評はともかく、冨野は二次創作を書くような人には神様みたいな言われようだったよ。あの何度も差し替えて元がどうだったか分からないZガンダムの小説なんかバイブル扱いで、私は全然読まなかったけれども、物理現象や社会科学の描写が不正確で文章も下手で中身もなかったからな。そんなものでも舐めるように読んで小ネタを探すというスタイルが主流で、というよりそれしかなく、なのでUCの福井がそれまで散々やられてきた二次創作と同じ手法でUCを書いたのは、私には理解できなかったが、二次を読んだり書いたりする人にはむしろ当たり前の手法。

ハヤト: そういえばアナタが良く引き合いに出していたSUGIMOさん、実はウチよりもサイトの開設が早く、1990年代ですかね、の、プルツーを主役にしていた二次創作小説があって、ま、アナタも読んでいたんですが長い連載で「マリーダ・クルス」を出して来た時には「もう少しプライド持てよ」と言ってましたね。

小林: マリーダはまあ、福井が作ったプルの1モデルだから、でも、彼が「プルツー物語」を書き始めたのは彼によると2002年、ウチより3年も早いんだ。2002年にマリーダいたか? それは後から色々分かることはあるのだろうけれども、最初に書いてから5年も後に登場したキャラをあえて取り入れる必然性がどこにある?

ハヤト: それは彼が二次創作の作家だからでしょう。その後もZガンダムやZZの関連諸作品、北爪CDAや福井ユニコーンの連載を丹念にチェックしてですね。それこそアナタが今言った二次の創作法じゃないですか。

小林: それでもプライドを持ってもらいたかった。プルの後日談、一応ZZじゃプルツーは死んでるからな、の、その後をちゃんと書いて、アステロイドの彼方にほとんど独創の新しい舞台を作って彼女の活躍を描いたのは福井晴敏や私なんかじゃなく、これは彼の仕事だ。その後に福井がコソコソと「プルじゅうに」なんてやっても、そんなのは無視すれば良いんだよ。「俺の方が先だ」と。

ハヤト: ま、そう言う権利は彼にはあるでしょうね。でも、アナタにはたぶん理解できないんでしょう。全然違うやり方でしたから。アナタがコミケで同人誌売ったり、ガンダム小説を読み耽っている光景なんか、付き合い長い私でも想像つきません。

小林: 自分の作品を「二次創作」と定義することは、作品について説明しなくて良いことだ。この節の最初のように、私は自分の作品を説明するのに苦労した。でも、二次と言ってしまえば「視聴者限定クラブ」というのと同義で、それ以上何も言わなくていい。私のように悩むこともない。福井や出渕が許せんのは、作品の体裁では私と同じ手法を使ったくせに、説明の部分ではその他大勢の二次創作作家と同じく口をつぐんでいることだ。

ハヤト: 自分の作品を「二次」ということは、ある種の品質保証ですからね。ガンダムならガンダムの、ヤマトならヤマトのお約束は守っているという意思表示です。ですが、十分な説明もなしに違う内容を押し付けることは、今までのところ、福井さんも出渕さんもタイトルや原作者の描きようで「二次創作」としていますが、説明逃れのためだとすればずるいやり方です。

小林: タイトルバックを見ればあれは「機動戦士ガンダム」や「宇宙戦艦ヤマト」の描き直しとしか取れないよ。二次の衣はしっかりと被っているわけだが、中身は知っての通り別物で、そのことを説明しなくて良いと思っているようだ。つまり、彼らは新しい作品と言いつつも、古い二次創作のマナーから完全に決別しておらんし、その自覚もないわけだ。

ハヤト: 二次創作を書いているつもりで内容があれだとすれば、こと前作については解釈力に相当問題ありだと思いますよ。

小林: 絵は後で入れよう、続きは次。