クレアが言った。テレビには望外のボーナスを支給されて踊り狂うジュドー少年の顔が映っている。建設会社の日雇い従業員らしい。
「独裁政権の最期はたいてい買収に走るものだがな。」
ジュグノーが憎々しげに言った。
「しかしペリーさん、こんなことをやって本当に大丈夫なんですか?」
ある種のリスクがある、と、経済学者は政治学者の問いに答えた。内部留保というものは企業がそれまでの経営努力で貯めこんできた賜物で、不慮の経済変動に対応する資金である。だから健全な企業なら概ね二〜三年分の蓄えは持っているものだが、それを使い果たせばもう後がない。
「二年の間に体質が改善され、利潤を生み出せればそれで良い。しかし、失敗すればただのバブルで終わる。」
こういう方法ではなく、金融緩和でも同じ効果を期待できるが、所得配分が不公平な上に体質は変わらず、成功した例は多くないとペリーは付け加えた。新経済理論の誕生には二〇世紀末から二一世紀に掛けて横行したサプライサイド理論やマネタリストの同種手法に対する反省もあった。
指標は労働生産性だと博士は言った。ジオンの場合、連邦やソロモンよりもおしなべて低い数字が計上されている。遅れた時代の金融緩和による同種の実験では生産性が向上しない例がほとんどであった。
「これをやった人間がそのことに気づいているかだな。いずれにしても二年も続かんよ。我らが陛下がグレミーを退治すればそれで片付く。」
博士の言葉に一同は一様にハマーンの方を見た。その視線にジオンの女帝は少したじろいだ。
〇〇九八年一〇月一日 夜
ズム・シチ 公王宮殿
宮殿の大広場を延べ一〇〇万人の大観衆が埋め尽くしている。陸軍主催の「総決起集会」で、「アリスタ共和国方式」と銘打たれた会場には分科会が設置され、参加者は任意の会議に参加して発言することができる。物見遊山でただ見物しているだけという者も少なくないが、そういった者は会場の各所に設置されている大型モニタを眺めている。
「こういったものの運営に我々の知識が役に立つとは思わなかったな。」
運営委員会のテントで運営委員の席に座ったゴットン大佐が病院から来たブロッホ少将に声を掛けた。コズンの爆弾で全身包帯巻きのブロッホは看護婦に付き添われ、車椅子に座った姿で会場を訪れている。集会は二四時間態勢で三日間が予定されており、討論された内容は各省庁に分配され、政策として検討される手筈である。膨大な参加者のいる集会を適切に運営するには軍のノウハウが役に立ち、第二軍団は四交替で会場の守備や参加者の案内、食糧の配布や衛生の管理、救護体制の確立、討論への参加などを計画的に行なっているが、総司令官のベール将軍はなるべく民間のボランティアを活用するように指示している。
「ボランティアが持たないノウハウを我々は持っている。しかし、我々が仕切っているという印象を与えるのは好ましくない。」
包帯巻きのブロッホはそう言い、ゴットンに集会を滞りなく進めるよう指示した。市内では巡回している陸軍の兵士がビラを配布して討論への参加を呼び掛けている。ゴットンは会場の時計を見た。
「そろそろ時間だな。」
金曜日の午後六時、ケムスキー教授との対話集会にブロッホが特に指定した時間で、彼はクーデターに対する国際的な反応を慎重に観測していた。この時間帯はオルドリンではリーデルの「炉端談話」が放送される時間で、ある意味、コロニー国家の中心人物の一人である首相の動向は気になるところだ。裏番組にケムスキーをぶつけることで、沈黙を守っているソロモン共和国の真意は分からないが、彼らの反応をかなり減殺することはできる。全て計算づくのことだ。
「貴官の代わりが務まるかどうかは分からんがね。」
「本当は私が相手をしたいが、この格好じゃ無理だ。」
包帯巻きのブロッホはゴットンを代役に立て、渡したメモ通りに質問してくれれば良いと大佐に言った。すでにMCVのキャラ・スーンとは打ち合わせを済ませている。
「フォン・ブロッホさんはこちらですかな。」
そこにフラリと現れた白髪の老人にゴットンが怪訝な顔をした。酔っ払いか、咎めようとしたゴットンを車椅子の少将が制止する。
「シャングリラ大学のノルマン・ケムスキーです。」
アリスタ革命の理論家として知られる白髪の教授は右手をゴットンとブロッホに差し出した。まるでミイラ男だという教授にブロッホは苦笑すると包帯巻きの手で差し出された手を握った。
「お越しいただき光栄です、教授。」
「ハーフェンでは宇宙艦隊の身体検査を受けましたがね。」
教授はそう言い、自分はテロリストではないと言うと、サイド1からのジオン訪問が難儀であったことを二人に話した。
「今は二つのジオンがサイド3にある。ハマーン陛下には私も期待を掛けたのですが。」
教授はそう言い、しかし公王専制の体制では所詮無理であったとハマーンの限界を指摘した。こういう番組に出演する場合には関係者と打ち合わせておくのが自分のポリシーだと教授は言った。
「良くこの場所が分かりましたね。」
ブロッホの言葉にケムスキーは近くにいる金髪女性を指差した。
「彼女が教えてくれましたので。」
彼らに微笑するセイラにブロッホとゴットンは会釈して挨拶した。その様子を見たケムスキーはゴットンに渡されたメモを見せるように促した。
「私がブロッホ少将の立場なら、大佐には指示書を渡します。」
添削してやるから見せろという教授にゴットンは渋々メモを差し出した。それを一読し、なるほど、と、言った教授は赤ペンを取り出すとテントのテーブルでメモを添削し始めた。
「ま、要するにゴットンさんは素人ということですね。」
「本当は私が出演したかったのですが、このザマでは、、」
爆弾テロで負傷したブロッホが包帯巻きの腕を上げて言った。どうやらあなたがビショップのようだ、ケムスキーは少将にそう言うと、企画の趣旨は悪くないと彼らを誉めた。
「まあ、私にお任せ下さい。素人には素人なりの良さがあります。」
緊張しているゴットンにメモを返すと、ケムスキーはセイラと一緒に会場の一角に姿を消した。
(おわり)