第1話「ないないの女の子」
あらすじ
両親もいない、友だちもいない、お金もない、趣味も将来の希望もない。たった一人で市営住宅に暮らす高校2年生・小熊、灰色な彼女の世界が一台のオートバイとの出会いによって色付き始める。
Aパート:灰色の高校生活、カブとの出会い
Bパート:夜間走行、初めてのガス欠
※この作品の場合、アパンが非常に長くAパートに被ることが多いことから、構成上、アパンはAパートに含むものとして以降取り扱う。
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薄暗い日野春駅と峡北の朝、陽だまりのようなドビュッシーで始まる冒頭。南アルプスの郷愁を感じる風景の後、独りぼっちの主人公・小熊の日常が描かれる。視聴者をドラマに引き込む作劇は満点と言って良いが、技巧の巧拙を論ずる前に、この子がなぜこんな生活をしているのかについては納得のできる説明が必要だろう。
身近にネグレクトの子がいる場合、本人や同居の親族から真の事情を聞き出すことは不可能に近い。事情は伝聞の形を取ることになり、内容は話者の都合や立場によって歪められ、関わった者は無視したり、通り一遍の説明で納得することになる。人間には自己の生活の平穏を維持したいという防衛的な本能があり、これに若干の知能が加わると、「合理化」という自己正当化のためのあざとい理屈を構築することになる。
こういったものはごく身近に観察できる。バイク購入に反対する親もそうなら、会社の中間管理職や中小企業の社長、学校の教員に大学教授や政治家など。
あらゆる表現者において、このような感情に押し流されることは性欲や物欲、衝動や情動といった一時の感情に負けることであり、それは物書きとして断固として排除しなければいけないものである。信頼性のない、情緒的なその場しのぎで構成された物語の進行を誰が最後まで見守ることができるだろうか。これはスタイルではなく誠意の問題である。
最初から原作者の執筆態度に通常ではない問題がある。これは作品全体を縛る呪縛になっていくが、それが明らかになるのは後のことである。
★★★ 初めてのバイクあるあるだが、主人公の設定に疑問。
用語集
フューエルコック
夜のライディングを楽しんだ小熊が立ち寄ったコンビニでエンジンが止まり、マニュアルを読んで見つけたコックはフューエル(ガソリン)コックといい、主タンクと予備タンクを切り替えるバルブである。予備といっても別のタンクがあるわけではなく、タンク内に2つあるガソリン吸入口の高さを変えることで高位置が通常走行、低位置が予備タンクと切り替えができるようになっている。オートバイには燃料計の付いていない車種が多く、そのための装備だが、OFFに切り替えることでキャブレターへのガソリンの流入を止め、冬季など長期保管に適した状態にすることもできる。スーパーカブは主タンク(3.2リットル)で130キロ、予備タンクで約30キロの走行が可能である。最新型のカブはインジェクションのためコックは装備していない。
過疎化と高齢化
舞台となる山梨県北杜市は平成の大合併で韮崎市を中心に8市町村の合併を企図していたが、反対運動で韮崎市は参加しなかったので7町村の合併にとどまり、北杜市は中心のない「轂(こく)のない車」と評される。経済的な中心は今も昔も韮崎市にある。高齢化率が4割と高く、若年人口も少ないため、武川中学校の生徒数は全校で80人、隣接する小学校も160人である。高校は人数を揃えており、北杜高校は600人、各学年も6クラス編成である。アニメの取材は武川中学校を中心に行われたと思われ、高校も同じと考えたのか2学年は1クラスしかないが、さすがにそれは減らしすぎである。
一万円カブの秘密
高齢化と中心のないモザイク市制はインターネットの普及状況にも影響しており、山梨最大のケーブル事業者NNSは旧武川村地区をカバーしていない。テレビもNHK含む4局しか受信できず、経営者の高齢化とインフラの遅れからネット販売は普及せず、バイク販売のポータルサイトでも北杜市の販売店は1店舗もない。
小熊にカブを販売したバイク店シノの店主は見たところかなりの高齢で、日頃はホンダ耕運機の整備などバイク以外の仕事もしていると思われるが、上記の事情から相場に疎く、ケーブルテレビを繋いでいないのでオークネットも知らないと思われる。
小熊のカブについては、オークションに出品するために買い付けに来た都会の業者の態度が気に入らず、足元を見られて提示された価格も安かったため、車歴から「呪いのカブ」の民話を作り上げ、上物のカブを封印して奥にしまい込んでいたと思われる。シノ氏はバイクに加え3万円相当のヘルメットまでサービスしているが、これは店を訪れた業者の態度がよほど腹に据えかねたのだろう。なお、この民話の真相は5話で礼子によって明らかにされる。いくら旧式のカブでも1万円はありえない。
なお、隣接市の韮崎ではバイク店1店が登録されており、掲載台数は16台(2021年7月現在)で、小熊と同型のスーパーカブの価格は相場と同じ13万円ほどである。
第2話「礼子」
あらすじ
カブで通学を始めた小熊、初めてのオートバイに戸惑う彼女に、同級生の礼子が声を掛ける。
Aパート:家庭科授業、礼子との出会い
Bパート:礼子への不安、自転車置場での昼食
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「まさか夜逃げの準備?」、家庭科の実習で大きめの巾着袋を作ろうとした小熊に同級生が悪意に満ちた言葉を浴びせる。「私、オートバイに乗ってきたの」、クラスの皆に原付を買ったことを話す小熊だったが、「何だカブかよ」、「バイクじゃなくて原付じゃん」と誹謗され、話題にもされずにフェードアウトする。小熊の家庭の事情が知られていること、彼女が同級生から孤立している様子が伺える。そこに長身長髪の美少女、礼子が現れる。
ヘルメットホルダにヘルメットを掛けることが不安で巾着袋を作る、トラックに追い越されて進路を乱すなど、描写は初めてのバイクあるあるだが、もう一つの見所は孤立している小熊が人目を引く容姿でクラスでも一目置かれているらしい礼子に声を掛けられたことで、翌日以降の対応にあれこれ悩むところである。が、礼子は彼女の逡巡に構うことなく、手を引いて小熊を自転車置場での昼食に誘う。
型式名や用語など、オートバイの世界は一般には馴染みのない言葉が多く、礼子が早口でまくし立てる術語もバイク初心者の小熊にはわけの分からないものである。それによると礼子のバイクは旧郵政省時代のMD(メールデリバリー)90、1999年の排ガス規制前の製造で、武川製のダンパーとワンオフのチタンマフラーを組み付けた改造車であることが分かる。ボアアップキットも組み込まれ、改造車としてはかなり贅沢な仕様である。なお、MDは一定の走行距離を超過するか償却期間7年を過ぎた払い下げでしか入手できないため、実走行距離は8万キロ以上である。
小熊が礼子の呪文を理解するのはまもなくのことだが、この話の彼女はバイクより、礼子との友情が続けられるかどうかの方が気がかりな様子である。
★★★ 礼子の登場で作品が華やかに。
用語集
山梨県高校のオートバイ格差
起伏の多い地域にある山梨県の一部高校ではバイク通学が許可されているが、許可されているのはオートバイではなく、あくまでも「原動機付自転車」である。自動二輪は保有も免許取得も許さないことが教育委員会の方針であり、違反した生徒は校則で処分される。
従って、小熊を揶揄した男子生徒の言葉は山梨県特有の原付と自動二輪の間にある格差を意味するものである。同県特有の事情として自動車教習所のカリキュラムに小型二輪がなく、カテゴリー上は原付である原付二種(125cc以下)も、運転は自動二輪免許を取得するしか方法のないものになっている。
アニメでは礼子がすでに原付二種のMD90で通学しているが、免許を他県で取得すれば校則についてはグレーゾーンといえ、所有し通学していることの一事をもっては処罰できないことになる。アニメにおいては自動二輪免許の取得も近隣の教習所で問題なくできるようであり、教育委員会の方針が事実上骨抜きにされていることから、原付どころか自動二輪による通学もできそうに見える。
あご紐の締め方
ヘルメットのあご紐の締め方は2つのリングに紐を通して滑り止めするDリング式のほか、ワンタッチ式、ラチェット式があるが、アライクラッシックなど本格的なヘルメットはほとんどがDリングを採用している。もやい結びの一種であるDリング式が後二者に対し引張り強度に優れるという根拠は特にないが、過去の製品ではソケットが外れるなどトラブルが多かったため、信頼性に優れるDリングがライダーの支持を得たことがあり、ヘルメットホルダーもこのリングに掛けることを前提に装備され、他の方式でもDリング類似の金具がある例が多い。
ヘルメットの認証規格には販売に必要な自主届出制のPSC規格のほか、検査機関の認証が必要なJIS、スネル規格があり、認証済みの製品は帽体に認証シールが貼られている。小熊のアライクラシックはPSC、JIS規格品であるがスネル認証は取得しておらず、また会社の方針でJIS認証機関の名も明示されていない。アライ社の説明ではスネル同等の試験をクリアしているとされる。
オートバイの用品は性能が向上するほど信頼性が要求されるため、工業生産の標準化を審査するJISは安全性の検討では対象にならない。筆者の場合は時速100キロ以上で走行するオートバイの装備品はヘルメット以外はTUF規格品に限ることとしている。
原付オートバイの場合は実用速度が低い上、扱いやすく廉価なことから、コメリで買える風防付きのワンタッチ式PSC製品で十分である。
富田林の社屋
礼子がSP武川製のパーツを多数用いていることから、「社屋を建て替えられるくらい」金を使ったという比喩表現。富田林とは大阪府富田林市にある武川の本社を指す。見たところボアアップキットを初めとしてミラーや液晶メーターなど外装パーツ、キャブレーターにオイルクーラーやクラッチなど一通りであり、この様子ではフロントフォークやミッションも手が入っているが、なぜかカブの弱点であるフレームには手を付けず、ブレーキは前後輪ともドラムブレーキである。
第3話「もらったもの」
あらすじ
またも礼子に昼食に誘われる小熊、夏休みの計画を話す礼子に、小熊は彼女のカブにある大きな箱に目を留める。小熊が「カブの箱」に興味を示したことを見た礼子は、叔父のJA武川支店に彼女を連れて行く。箱と前カゴを入手した小熊は学校で工事中の作業員が身につけていたある物に興味を持つ。
Aパート:礼子との会食、箱・カゴの入手
Bパート:風対策、同じカブ乗り
コメント
カブで通学を始めて数日、巾着袋や時速20キロでの走行に不満を覚えた小熊は礼子のアドバイスでビジネスボックスやカゴ、防風用のゴーグルなど必要な装備を揃え始める。ボックスを礼子の叔父のJAから、カゴを教務主任から入手した彼女は防風用のシールドを作業用ゴーグルで代用することを思いつき、初めて時速30キロ以上で走る。
風対策は、コンタクトや裸眼では原付でも必須の対策で、筆者は眼鏡を掛けているが、原付から自動二輪に乗り換えた時には、納車されたその日にシールドを購入している。小熊のカブくらいの速度なら眼鏡でも十分な防塵効果があるが、それ以上になると虫や雨滴が皮膚に突き刺さり、どうしても防具が必要になる。現在はポリカーボネート製で透明度、強度ともに十分な製品がある。
カブを含むビジネスバイク特有の装備、ビジネスボックスについては容量は大きくはないがスクエアな収納はヘルメット1個なら余裕で収めることができ、かつ、若干の荷物を積むこともできる。教務主任が渡した前カゴは中型の新聞カゴで、実のところあまり役に立つ代物ではないが、転倒した時のバンパー代わりには役に立つ。礼子の言うように、こういう装備を付けていても目立たない所がカブ型バイクの良い所である。
礼子が小熊に掛けている言葉、「同じカブ乗り」は強調しすぎるとイヤミな所がある。カブは特別な乗り物ではなく、誰もが当たり前のように使え、カフェレーサーやハーレーのような排他性を感じさせないオートバイであり続けることが、この車を作った本田宗一郎の願いだったのだから。
この話はアニメの企画が制作段階では最終回まで続けられるか分からなかったことがあり、ラストはまるで最終回のようなモノローグになっている。テーマに微妙な部分があり、制作者は打ち切りも考慮して慎重にスケジューリングしたことが伺える。同様の話に6話と12話があり、1〜3話と4〜6話、7話〜12話は作風が各々異なっている。
★★★ ご都合主義だがほのぼのとしたエピソード。
用語集
原動機付自転車
排気量や形は小さいものの、構造は自転車とは別物で力学的性質も全く異なる二輪車を「自転車」と呼ぶことにはスクーターもある現在では大きな違和感があるが、スーパーカブが開発された1958年においては、自転車とオートバイの間に構造上の大きな違いはなかった。
ホンダ社躍進の原動力になった「カブ」は既存の自転車に小型エンジンを組み付けたキット製品でオートバイでさえなく、その後継として開発された初代「スーパーカブ(C型カブ)」は、実用自転車にエンジンを取り付けたような外観の華奢なオートバイだった。当時はカブ以外にも様々な乗り物が考案され、実用に供されたことから、戦後のある時期まで自動車とオートバイ、自転車の間に明確な境界線がなかったことがある。7話で登場するリヤカーはそういった時代の産物の一つである。これはサイドカーの設計を転用して作られた。
「〜自転車」という呼称はその名残で、水産庁の技官が目慣れぬ魚に分類上「〇〇ダイ(鯛)」と命名するような便宜上のものである。当時のエンジン付きの乗り物は排気量やエンジンの形式もさることながら、6輪から4輪、2輪や3輪、時に1輪と多様で、とても一つの言葉で言い表せるようなものではなかった。
スーパーカブが優れていた点は排気量50ccの原動機付自転車にして、現代のオートバイの基本構造を全て備えていたことである。その後の日本オートバイ産業の躍進により、前後異型タイヤ、スイングアーム、一体式ミッションとチェーンドライブなどカブで確立された仕様は世界標準になり、1,000cc以上の大排気量車も操縦性の基本はカブのそれに拠っている。現存する全てのオートバイの始祖として、スーパーカブは二輪史に燦然とその名を輝かせる偉大なオートバイである。
むかわの湯
小熊と礼子がビジネスボックスを求めて訪ねたのは梨北農業協同組合の武川支店(原作は信用金庫)だが、支店のある小路を西に500m歩くとある温泉。温泉と冷鉱泉の2つの源泉があり、チープな見た目に反してかけ流し(保健所の指導により塩素殺菌)の浴槽があり、飲泉もできる本格的な療養泉である。川の近くにあるこの種の温泉は地下1キロの川の水で成分の少ない(1g/リットル以下)単純泉であることが多いが、この温泉は1.6g/リットルで塩化物・炭酸水素温泉に分類されている。地質や源泉の由来が気になるところだが、汲み上げ式の温泉で、提示された分析書も平成14年と古いため、現在も泉質や湧出量を維持しているかどうかは定かではない。温泉マニアには気になる内容もあるが、もちろん原作、アニメもこの施設には触れてもいないし、筆者も行ったことがない。