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An another tale of Z reviews

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」


第1回「少年の国」

 「坂の上の雲」は、売れっ子作家だった司馬遼太郎が壮年期に書き上げた小説で明治時代の日本を主題とする作品だが、諸般の事情から、長らく映像化は困難とされていた。司馬の死後にNHKが制作を打診し、遺族が制作を了承したことにより、第一部、二部は大河ドラマスペシャル、第三部以降は「スペシャルドラマ」として全13話、一話90分の映像作品として制作された。

 遺族が制作を了承した背景には2000年以降のコンピュータグラフィクスの進歩により、日露の戦艦が舷々相撃つ艦隊戦の場面など従来のミニチュアでは十分に表現できなかった場面がよりリアリティある映像として表現できるようになったことがある。が、闊達な明治時代の立身出世を描いたドラマはともすれば官僚礼賛ドラマになることがあり、組織より個の時代になりつつある現代ではもはや時代遅れの作品ともいえる。そもそも晩年の司馬自身、バブル以降の日本と日本人には匙を投げていた。

 歴史学の進歩により明らかになった事実もあり、執筆時期から半世紀のブランクという問題もあった。これらは映像技術の問題ではなく、制作者の解釈力、翻案力の問題であり、時間が経てば進歩するという性格のものではないため、実際に制作された作品は予算を掛けた日本海海戦の迫力ある映像とは裏腹に、作品の進行は原作に制作者が引きずられる、良くある凡作のようなものになってしまっている。司馬による歴史の俯瞰という視点は、それとは真逆の細部の演出にこだわるスタッフには見られない。

 司馬のこの作品は、もはや国民文学といえるほど有名な作品のため、NHKでも脚本家の上に今までの大河ドラマの大御所からなる審査委員を置くなどし、実質的な進行は演出が担うなど複雑化しており、進行が鈍重で慎重に過ぎたこともあった。この「坂の上」の制作上の問題点は同時期に制作されていた大河ドラマ「平清盛」にも引き継がれ、作品破綻の遠因になっているが、次作の「八重の桜」では従来式に戻っている。

 なお、司馬は作品の映像化を死ぬまで許可しなかったが、「坂の上の雲」については、ほどんとその歴史観、価値観を体現したような作品が過去に存在している。1980年に東映が公開した「二〇三高地」は作品の舞台こそ小説の中の一場面、乃木軍団による二〇三高地の攻略に絞られているが、仲代達矢の乃木の悲壮感といい、様々な階層から戦いに参加する日本兵たちの描写といい、良く練られた脚本に潤沢な制作予算と豪華キャストで、40年前の作品であるが、こと「坂の上〜」の映像化についてはこれ以上の作品はないものになっている。

(第1回補足)
 本サイトのレビューでは原則として第1話の批評はしないが、それは第1話というのは製作者がトリッキーなものも含む様々な演出意図を作品に用いており、後になって分かるものもあることによる。スタッフの足並みも不揃いで俳優も慣れていない状況で制作される話の出来はあまり良くなく、筆者としてはそんな作品の紹介より作品を巡る事情を説明することを優先していることもある。

 「坂の上の雲」第1回については、オープニングから気まずいムードが漂っており、まず、冒頭の活動写真の技術は彼らの時代にはなかった。エジソンがこの機械を発明したのは1893年のことであり、日本では明治26年、作品の主役の好古や真之、子規はとっくに成人しており、幕末の時代に彼らの少年時代を撮った映像などあるはずないのである。この渡辺謙の冗長な解説と白黒で故意に汚したインチキ映像は最終回まで使われ続けるが、演出の素人かと思わせる。

 歴史観については、原作でも本作でも秋山家は十石取の下級士族とされ、極貧の生活が描かれているが、秋山家が窮乏したのは明治維新のせいで、実際は足軽大将の下、組頭(徒士)くらいの身分である。平均的な足軽が五石取であることを考えると、作品の描写は少々オーバーに描きすぎといえる。また、これは原作の瑕疵といえるが、土佐藩の階級である上士が正岡子規の実家について用いられていることは藩制の異なる松山藩では要検討の部分である。

 全般的に冗長な仕上がりで、90分が長く感じる退屈な話だが、この時期の秋山兄弟については原作にもそれなりの記述があることから、原作にないイギリス人窃盗団の話の代わりに、聞き取りにくい香山照之の滑舌を良くするとか、大阪での教員時代の好古など、個々の登場人物の描写をより深めてもらいたかったと思えるが、この人物の内面を洞察して描きこむということが、どうもこの作品のスタッフのいちばん苦手なことのようである。