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An another tale of Z (890)

オルフェ千葉氏の小説

(2007年4月作成・再掲)

 創作企画であるRevivalとリンクして以降、ウェブリングにも参加せず、孤高を保っていた筆者の作品はどう見てもジャンルの違うアストレイマニアに酷く誹謗されることがありました。それが筆者とオルフェ氏との出会いなのですが、筆者は自分の小説の第三十二話で「たとえ謝った知識でも、体系的に整序された知識は強力だ。なぜならば、それは人にとって正義と悪とを峻別できるものなのだから」と書いていますが、これは筆者の実体験によります。いちいち例は挙げませんが、この批判を見ていると、それでも首尾一貫しているというか、上の正邪の基準は持っているようです。そういうわけで、筆者も忙しいのですが、合間に「原典」を読んでおくことにしました。

 で、とりあえず、「血中オルフェ濃度」が濃そうな最初の作品「ガンダムSEEDアストレイ上下巻」を買って読んだのですが、読むと確かにこの小説、陶金空中星君の作品のみならず、Reviva企画にも相当強い影響があるなと感じるものがあります。文章は下手ではありません、むしろネットの小説の大半よりも読みやすく、それなりにコンセプトを持って考えられた作品です。彼の小説のコンセプトを最も的確に言い表したのは陶天星君が筆者の小説を評した以下の言葉です。彼は分かっているんですね。

>さらに言わせてもらいますと、今の時代の読者は読んでいて気分が辛く
>なる物語ではなくコードギアスやリリカルなのはシリーズ、ネウロや
>ワンピースみたいに大胆な構成で楽しませるエンターテイメント性重
>視の作品を求めています。銀河英雄伝説じみたような架空戦記もので
>は、読む方が限られてしまうと思いますので、今の時代の読者側にも
>配慮した物語作りも希望します。


 「読者が限られる」という点では、書棚から「アストレイ」を取り、ダッシュでレジに駆け込み、人目を避けるようにそそくさと買っていった筆者というのもあります。

 この中傷者が挙げた作品の特徴は実は重要なものです。筆者の場合は五十三話ある各エピソードの一話一話で読むのに三十分掛かるというコンセプトで作品を作りました。これがほとんど間違いのない内容であるということは読んだ方には分かると思います。筆者の小説はSEEDのオープニングが始まると同時に読み始めると、一話読み終わる頃にはエンディングが鳴っています。ところがオルフェ氏の場合は一冊読み終えているということになります。この描写の軽さは意図しなければできるものではありません。

 筆者はこういう小説があっても良いと思っています。ただし、こういう小説を基準に他の小説を評価することは完全に誤りだと思っています。「頭を空っぽにして読める小説」としては良くできた作品だと思いますが、そうでないニーズもあるからです。520円で買える清涼飲料水のような小説がこの作品です。で、さらに感想を敷衍しますと、オルフェ氏の「軽さ」は別に軽薄な表現やコメディで実現されているものではありません。そういう描写はほとんど無いです。

 筆者が見るところ、この作品が「軽い」のは、説明的な文章を最小限にすると同時に、読者の癇に障る描写をことごとく排除している点にあります。説明的な部分は原作品そのままで依存さえしています(現在はウィキペディア)。で、筆者の見るところ、彼の作品は作中に出てくるロボット「アストレイ」と同じく、必要なものまで含めて読者を考えさせるようなムダな記述をことごとく削ぎ落とした作品ということができます。そういうわけで、実は彼の作品こそが「アストレイ」なんだという結論に落ち着きます。陶金星君は「銀河英雄伝説」は「大人向けの作品」と評していますが、実はアストレイこそが正真正銘の「大人の作った作品」でしょう。

 実際のこの作品の対象年齢は10歳で、これは小難しい漢字を避け、漢字にはいちいちルビを振るスタイルで分かります。

 とはいうものの、淡泊なだけでは小説は成立しませんから、ある程度強い個性も必要です。どうでもよい描写の長すぎる戦闘描写などは筆者などは辟易するのですが、ここでも彼独自のちゃんとした計算があるようです。

 オルフェ氏の「アストレイ」は「日経キャラクターズ」などで推奨されている内容と異なり、むしろ登場人物の個性は希薄な作品です。というより、登場人物個々に「作りもの」のようなわざとらしさがある印象は拭えず、個々の描写にしろ「なぜここでこういう反応になるの」という疑問符がどうしても浮かびます。率直に言って、「人間」を描いた作品ではないと思っていますし、その筆力が彼にあるかどうかも疑問です。

 が、そういった難点は意識されているようであり、ちゃんと対策は取られています。その一つが彼特有の唐突な断言口調、特に必然性も無いのに「○○は××である」と断言する文体が彼の特徴ですが、同じ文体をブログで使っていて読者の顰蹙を買う例が多かったことを考えると、これは彼の個性というべきですが、「アストレイ」では効果的です。なぜならば、この文体のせいで読者は作品世界に(筆者のように疑問を持つ者もいるが)入りやすいからです。中学生くらいの読解力なら、これはむしろ親切設計とさえ言えるでしょう。

 人間ドラマとしての「アストレイ」は相当お粗末な作品です。これだけならばどこにでもある小説と同じなのですが、ここにただ一人だけ個性的な人物がいる点です。「叢雲劾(ムラクモガイ)」という名のこのオルフェのメアリー・スーは孤高な傭兵で、作中ではほとんど彼のみが登場人物の「信条」というものを語っています。

 もう一つこれには仕掛けがあり、この作者の分身まがいの男が作中で一人称で表現されることはありません。作中では、いくら切っても貼っても死なない不死身の肉体を持つ彼の生きざまは、彼の周囲の引き立て役たちと短切な彼自身の言葉によってのみ表現されており、「アストレイ」という作品は全編がこの男の生きざま信条をアッピールするプロモーションビデオのような作品です。こういう手法をここまで徹底した作品は実はあまり無いように思っています。

 いずれにせよ、ここで読者層を明確にターゲティングし、分かりやすい手法を確立し、断固たる決意を持ってそれを実践したという氏のスタイルには筆者にも通じるものがあり、ここでオルフェ氏の作品は「単に書きたいから書く」というノリで書かれた凡百の作品とは一線を画すものになっています。アニメは楽しいものですが、それを作っているのは立派な大人だという事実を忘れてはなりません。

 以上見たように、こういう作品を作れるオルフェ千葉というのは、やっぱりそれなりに苦労した人なんじゃないかと思います。作中での彼の分身「叢雲劾」は自分を捨てて傭兵ビジネスに没頭できる人物です。いや、この人物の語り口を見れば、彼が私情で動く人間を軽蔑していることが分かります。それは専らサンライズの注文に忠実に、私情を殺して読みやすい作品を作っている彼の仕事のスタイルに通じるものがあります。究極の御用聞きといった感じですが、やはり彼でなければ「アストレイ」という作品は作れなかっただろうと筆者は思っています。エゴだけでは他人を説得できないですし、彼はそういった苦労を人並み以上にしてきた人物なのでしょう。

 読んだ方には分かる通り、筆者の作品はオルフェ氏よりももっと大きな舞台を扱っています。一介の傭兵部隊「サーベントテール」ではなく、外交とか戦争とか国家とか、もっと高いレベルの内容を扱っています。それはこの作品の主役やヒロインとして選んだ人物がそういう人物だったからで、彼ら彼女らの扱いに非常に不満のあった筆者が「本当はこうだろう」と書き直した作品が筆者の作品だからです。これを単純に比較するのは適切ではありません。

>今の時代の読者は読んでいて気分が辛くなる物語ではなく、、

 彼には読むのが辛いかもしれませんが、筆者のテーマをオルフェ氏並みの「アストレイ」な記述でやったら読むに耐えないものになります。筆者の作品は手に取った人間の三分の一が最後まで読む作品です。これはデータに出ています。「アストレイ」よりも数段密度の濃い記述、ルビを付けない漢字の多用、特異な人物が少なく戦闘描写も最低限という内容ですが、それはオルフェ氏同様、筆者も読者をターゲティングしており、そのresolution(解決)というコンセプトで作品を書いているからです。

 当時の空気を知る筆者はお定まりの皆殺しや勧善懲悪でない、もっと骨太で本格的なドラマを望む向きがあったことを知っていました。ソ連崩壊で冷戦期をモチーフにしたドラマは軒並み陳腐化し、第二次大戦の焼き直しも飽きられていました。銀英伝にしてもその枠組みは冷戦時代のものです。もっと現代の社会に近いフィクションが望まれていたのですが、今に至るまで十分なものが出ていないという事情があります。「コードギアス」など見れば、大昔の大英帝国が世界征服して現代に至る話などフィクション以外の何であろうかという感じです。ただ技法を洗練させるだけでは十分でない現状があり、当時からの宿題がまだ残っています。

 これについては筆者の作品は自分ながら回答になっていると思いますし、回答になっているからこそ公表から二年経っても廃れず読まれているのだと思っています。筆者はオルフェ氏のような割り切りで作品を書きませんが、それゆえ、オルフェ氏には書けない作品を書いたと思っています。

 上のような感じで、ここ一年近く、何かとぶつかることの多かったオルフェ氏の小説を簡単に読んでみたけれども、見てみると実は案外無手勝流、ネットではオリジナル作品で禁忌(タブー)とされていることを彼は割と平気でやっています。そうなるとこの禁忌それ自体が実は正当な根拠のあるものではないということになるでしょうか。


1.オリキャラ・転用キャラに個性が無いのは作品として致命的

 「アストレイ」は確かにあまり普通の人の出ない作品ですが、それでも筆者から見れば登場人物の個性は希薄です。念のため筆者の小説の第一話を読み返してみたのですが、切れば血が出るような存在感という点では、いちいち例は挙げませんが(いくらでも書けるため)筆者の方が特異な人物がほとんどいないにも関わらず、第一話にしてずっと個性的だと思います。つまり、表面的な「個性」の強調は作品を構成する上で重要な要素ではないのですね。「個性」の強調は説明的な文章ではなく、その人物の行動によって示すべきです。「アストレイ」ではその部分を犠牲にして読みやすさを実現していますが、これも一つの見識ですし、この尺度でこの作品を評価したなら、これは筆者の方が勝っていると思います。


2.主役を喰うオリキャラは出してはならない。

 この作品の主役「叢雲劾」はどう見たって強烈な個性を持つオリキャラです。しかも作中での彼は完璧でおよそ弱点というものがありません。戦闘用に作られたコーディネーターですが作者の都合で自我を失わずに済み(むしろ普通人より強く)、大して戦ってもいないのに最強と呼ばれ名前を聞くだけで正規軍も震え上がり、これはサハク兄弟は倒すわ、準主役メカである「イージス」らしい機体を軽々と撃退するわと、これはおよそ一対一の戦いで負けたことがありません。その人となりは日頃は寡黙でニヒルで存在だけで周囲を畏敬させるオーラを放っています。また、イライジャやソキウスが必死で獲得しようとしている「戦う理由」も既に確固たるものを持っています。ここまで完璧なオリキャラは筆者でさえ出すのが躊躇するものがあります。


3.萌え・ツンデレは作品に必須の要素

 期待していた方には失望させることとして、「アストレイ」には萌え要素はほとんどありません。これが重要項目かどうかということもありますが、ニヒルなヒーロー叢雲劾が活躍するこの作品には色気が入り込む余地がないです。ゴルゴでさえ狙撃前には娼婦を抱くのですが、このウルトラコーディネーターには性欲処理は不要のようです。ただし、この作品は意識して美少年は登場させています。イライジャやソキウスがそうですし、ヴァイアもそのクチでしょう、みんな同じ顔なのですが、ここで彼は腐女子ウケを狙ったとはいえますが、性的なシーンは一切無いです。


4.戦闘シーンは意外性に富み、長たらしく面白くなければならない。

 アストレイの戦闘シーンは面白くないです。ソキウスとの戦いは「何だこれ」という感じですし、最後のサハクとの対決も肩すかしです。意外性のある展開もありません。この点についてはこの作品は水準は満たしているものの、傑出してはいません。むしろ、ガマの油売りのように搭載武器の名前と解説を延々延々延と読まされた筆者は辟易したというのが本音です。むしろこういう場面はどうしても長たらしくなるので、どこで切るかという判断が問題で、この点では辛うじて及第点を出せます。これは割と早めに戦いの場面を切っています。つまり「アストレイ」は戦闘シーンは多いものの、期待に反して過多な作品ではありません。


5.総括

 さて、ここ一年ほど、特にブログとΔアストレイを中心に千葉氏の作品を酷評してきた筆者ですが、私怨もたっぷりあり、「やはり酷評であろう」と期待する向きもあると思いますが、しかしながら、筆者は公平を心がけていますが、不当な評価はしません。評価すべきは評価するということで、誉めるべきは誉めます。

 筆者自身にも良い案が無い場合は酷評もアドバイスもしないことがありますが、オルフェ千葉氏の作品への筆者の評価が意外と「辛くない」ことには肩すかしを感じる向きはあると思います。が、筆者としては正当な評価です。「アストレイ」はよくできた作品です。本来は一ファンとして業界に入ったにも関わらず、ここまで私情やエゴを殺し、読者にとって読みやすい作品を心がけ実践した千葉氏の努力は驚嘆に値します。それはきちんと言葉で評価してやるべきです。

 同時に彼の作品の秘密も暴かなければなりません。

 「アストレイ」の秘密は別に陶金節君の指摘するような読者の度肝を抜くような大胆なプロットでも緻密な設定でも超個性的なオリキャラでもありません。そういった筆者でも思い悩むような天才的な閃きが必要なものではこの作品は凡庸な作品です。凡庸で頭の悪い人(陶金星のような)は自分にできないことを他人に期待するのですね。彼にできないことはオルフェ氏にも筆者にもできません。これは当たり前のことです。

 オルフェ氏の作品が際だっているのは、この作品が「読者を不快な気分にさせない」配慮を徹底的に考えていることにあります。時折ストーリーが宙に浮いたように感じるのは読みやすさを優先した大胆なカットの証左です。無駄な贅肉を削ぎ落とし、扱う内容も含め、必要なものでもさらに削る軽量化、これが「アストレイ」の秘密です。

 秘密は暴いてやりました。このように筆者の指摘したことを意識して作品を書くのなら、オルフェ氏でなくても「アストレイ」は作れるはずです。それが楽しい作業かどうかは別として、できるはずです。