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An another tale of Z (711)

日本アニメのシナリオ事情


 前回はロボットの話をしましたので、今度はシナリオの話をしましょう。この世界を観察していると、ある時期までのアニメも含む日本の劇作品には「原作」の存在が非常に重要であったことに気づきます。アニメの場合は横山光輝の「マーズ」や石森章太郎、永井豪の一連の作品のようにマンガがほとんどですが、「UFO戦士ダイアポロン」の原作は雁屋哲(美味しんぼの作者)による「銀河戦士アポロン」という小説作品です。いずれにせよ、当時の戯曲作品には原作の存在は必須であったという常識は現在では忘れられています。これは作品の「世界観」を担当するものであり、何もない創造という虚無の宇宙に創作の光を照らし、天地を開闢し、生きとし生けるものをその世界に住まわせ、宇宙文明も含む複雑で高度な文明を作品に触れる者の脳裏に築き上げることを任務とします。

 これは重要なことです。創造主たる彼なかりせば、どのように高度な演出技術と造形技術も、その作品というものは作品と呼ぶのすらはばかるような魂のない彫像、技巧をひけらかすだけの単なるギミックにすぎないからです。それは「見世物(プレゼンテーション)」ではあっても「作品」ではない。それが「機動戦士ガンダム」までの日本の劇作界の常識でした。そのことを思い出せば、「ガンダム」の場合、この作品が持っていたもう一つの画期的な意味に気づくことになります。それは、この作品がアニメ史上おそらく初めての、「原作の存在しない作品」であったことです。

 残念ながら、そうなったのは、既存の原作に囚われずに自由に想像の翼を羽ばたかせようとか、お堅い名門大学の人文科学教育に凝り固まったプロの作家たちでは及ばないような構想、発想を技術家が自らの発案で作品に込めて表現しようとか、そういったご大層なものではありませんでした。それはまず資金が無かったからであり、一九七三年のオイルショック以降のうち続く不況と広告会社の一斉引き揚げは、原作者に対する高いロイヤリティを支払うことを困難なものにしました(同じ頃、電通の社員だった雁屋哲もリストラされ、「銀河戦士アポロン」の原作を書き始めている。厳しい時代であった。)。実はそれが原因です。

 そういったわけで、当時の日本サンライズの3スタ(同社で最も貧弱な陣容の制作部門)にいた「おっちゃん」こと富野喜幸氏は「正式な原作の存在しないアニメーション作品」という前人未踏の禁忌(タブー)の領域に足を踏み入れざるを得なかったのでした。実は彼にはごく簡単な二次創作の心得がありました。彼には多分に小松左京と横山光輝とNHKの海外SFドラマ「キャプテン・フューチャー」に影響を受けた陳腐で稚拙な凡作、そのままではとても売り物にならない「宇宙戦艦ヤマト」の小説版を執筆した経験があり、これは作品の中身ではなく、「ヤマト」ブームにあやかって学校図書館や老人ホームに購入してもらい、そこそこの売上げを上げていました。ただし、この小説は当時の氏の窮境を反映してか、あまりにも内容が後ろ向きで暗く、「ヤマト」の総指揮者の西崎義展氏も気に入らなかったので、後に彼は富野氏を小説から外し、彼よりずっと学のある、東大修士のインテリである若桜木虔氏(英単語連想記憶術の作者)に以降の小説を任せています。いずれにせよ、おっちゃんは自分の文才に自信があったから企画段階の「ガンダム」の原作を引き受けたというわけでは必ずしもありませんでした。

 実際の「ガンダム」は、どうも作風を見るに、この富野氏の原案ではなく、同じスタッフの脚本家である星山博之氏や漫画家でもある作画監督の安彦良和氏らが丁々発止で議論しつつ、合議制でストーリーを決めていったようですが、その内容についての評論はここでは置きます。既に沢山の評論文があります。この場合は内容が問題ではなく、当時の時代にそういう作品が制作され、放映されたことが問題だったのでした。原作の存在しない作品は作品ではないという当時の論調に照らせば、「ガンダム」はプラモデルのプロモーションムービーのくせにドラマという、まさに「許されざる者」の要件を満たしていたからです。

 そういうわけで、富野氏は後に「ガンダム」の小説版を出版しましたが、彼と彼の作品に対するSF作家界の視線が、現在から見ても異様に冷たかったことには理由があります。それは既得権の侵害であり、アイディアを売ることで生計を立てていた彼らの領域へのあからさまな侵略でした。彼らはかなり長い間、「ガンダム」をSF作品としては認めようとはしませんでした。当時の作家達と業界の互恵関係を考えれば、これは当然のことです。クリエイションとは、彼らSF作家らにとっては、宇宙と交信し、ピラミッドパワーで想念を蓄え、天才のみがなし得る閃きによって文字にしたためるものだったのですから。

 魔法の正体は、例えば芥川龍之介の作品が実はアナトール・フランスの模倣だったとか、江戸川乱歩のペンネームがアメリカのミステリー作家、エドガー・アラン・ポーのもじりであったという逸話にもある通り、実は彼ら作家たちは宇宙や降霊術からではなく、小ネタの多くを海外から仕入れていました。そしてSFの場合はネタの出所はおおよそ決まっていました。それはプリンストン大学の碩学ジェラルド・オニール博士とその一派であり、彼が作ったL5協会でした。もちろん富野のおっちゃんもこの団体の存在までは突き止め、メッカよろしく大博士を巡礼に訪れたのですが、彼らに言わせればそのやり方も気に入らなかった。おっちゃんが上京した田舎っぺよろしく、このL5協会にとっては創価学会員の仏壇、統一教会の壺に相当する協会のご本尊、「スペースコロニー」を持ち出してきた日には、彼らの怒りはおそらく憤怒を通り越して憎悪に近いものがあったのではないかと推測します。しかし、これは非難する彼らの側にも非が無かったとは言えないものがあったでしょう。

 ナンセンスな批評家の一人は、ガンダムの「地球連邦」は世界連邦なのに黒人が一人も登場しないことを問題にしました。「巨大ロボットの兵器としての不適格性」というネタはかなり長い間批判に用いられました。左翼の影響を受けた評論家は「そもそも戦争を題材とするのが良くない」と言いました。ロボットについては、実際に彼らが現代のロボット「アシモ」やそれよりもさらに敏速に動く「ロボット」を目にしたなら、そういった批判自体がバカげていることに気づいたでしょうし、当時最先端を自称する彼らの「科学」なるものが、いかに既存の型にとらわれ、本来の科学者の思考である、知識に対する好奇心と応用の柔軟性からかけ離れたものであったかも分かるものでした。

 いずれにせよ、とにかく彼らは「ガンダム」を叩くことにばかり熱心で、L5協会に依存しすぎた彼らの思考方法を改善しようとか批判しようとか、発想を転換しようとかいう方向にはついぞ行かなかったようです。反戦を主張する一部の作家はブレトン・ウッズ体制の崩壊で入手が容易になった旧ソ連の映画「惑星ソラリス」を絶賛しましたが、これはあまりにも幼稚な作品であり、とうてい目の肥えた日本の視聴者に受け容れられるものではありませんでした。そして「ガンダム」の成功で原作に依存しないアニメが創作の主流になるにつれ、彼らの論調は力を失っていきました。SF作家は七〇〜八〇年代には掃いて捨てるほどいましたが、現在は人気作家の名前を挙げるのにさえ考え込む必要があるほどマイナーな存在になっています。その凋落は実は「ガンダム」の出現と期を一にします。

 「ガンダム」創生期の話も、この作品とSF作家協会との暗闘の話も、今となっては過去の話です。その後に続くクリエイターはむしろ「原作の無いアニメーション」で育っていった世代です。七〇年代の当時にはあった「原作者と制作サイドとの峻厳たる対立」といった光景は彼らには理解できないものです。高度なアニメーション技術を持つ彼らにしてみれば、これら過去の作家・漫画家は下手くそな絵にナンセンスなストーリーを載せただけの化石のような存在に見えているのかもしれません。それは現在の彼らの論調からでも看取できます。しかし、それで話が終わったわけではありませんでした。「ガンダム」の成功は同時に日本のアニメーションに現在に至るまで抜きがたい普遍性の欠如、「ドラマ性の低さ」という宿痾も残しました。多くはアニメーター学院を卒業した現在のクリエイターはストーリーの構築が苦手で、関心それ自体が低いようです。万人に受け容れられるストーリーを書けないことは業界の低迷の一因にもなっています。普遍性(ユニバーサル)の無い作品は世界では通用しません。しかし、その普遍性を理解できる人材が今の業界にはいません。いたら日本アニメは今頃トレックと張り合っていたでしょう。

 もしも七〇年代のあの時代、作家達が既得権と再販制度にあぐらを掻くことなく、オイルショックで広告を引き揚げられた制作会社による値下げの懇願に応じていたなら、あるいはより積極的に文明の進歩を認め、アニメーションや特撮に対するコンサルティングの体制を確立していたなら、各々の良質な部分が融合し、現在よりもさらに優れた作品を作れたかもしれません。出版業界もアニメ業界もその後幾度も浮き沈みを経験しましたが、ことSF作家業界については凡そ十有余年に渡り、ヒステリックに「おっちゃん」のアニメ作品とその子孫を貶める前にできることはあったでしょうし、アニメ業界の方も行き過ぎた点は反省し、より良い創作に道を示すことは、おそらくできたでしょう。

 現在になって状況を概観するならば、七〇年代も現代も変わらない創造の一般原則というものはあります。それは「クリエイション」を行わない限り、そこには市場が生まれないということです。かつては作家の特権でした。現在では少し幅が広くなっていますが、まだまだ間口は狭いものです。無から有を生み出すこと、スポンサーが付くからではありません。いや、スポンサーや宣伝活動は関係ありません。有名か無名かということも、学のある無しも関係ありません。それらは販売促進のツールであって、創造とは違います。そうではなく、それが数百円にしろ十億円にしろ、それまで存在しなかったものに交換価値が生まれたこと、それが作品におけるクリエイションの真の意味です。創作の本質は、時を経て形は変われど、実は何も変わっていません。

(小林 昭人)


(作者メモ)
 以前の「でじたる書房版」に添付したエッセイです。